王の遺体がなくなったことについての続き
2009年5月28日 本当の犬の話をしよう コメント (1)僕と叔母さんが寒い中外に出ると、そこには伯父さんの白いクラウンがエンジンをかけたままだったんだ。
もう君にもおおかたの予想はついているとおり、ハービーが死んだことを僕に言う役目は伯父さんが荷ったわけさ。
伯父さんが前を向いたまま暗い道を運転しながら動物病院でのハービーの最期を伝え話している後ろで、むしろ叔母さんの方が僕の目をのぞきこんでいたんだ。
それで途中で耐えきれなくなって泣き出しちゃった。
僕が泣き出さなかったのは、かわりに叔母さんが泣いてくれたからなんかじゃない。
ハービーが死んだことをちゃんと受け止められなかったからでもない。
もちろんそれらもあるんだろうけど、僕にとっての問題はもっととっても重要なことだった。
君にはこの先うまく説明できるかわかんないけど、この話の最後の最後には、もしかすると君にだけは僕の気持ちが分かってくれるかもしれないと思ってるよ。
だから長い話になるかもしれないけど、誰がなんといおうとちゃんとこの話を続けることにしたんだ。
僕にとってのそのときの恐怖は、まずゆうくんに会ってなんて言えばいいのか分からなかったことだ。
ハービーはほんとのほんとはこの人たちの家族で、もっと言えば本当の本当は従兄弟のゆう君の家族なんだってことだ。
僕はどうしていいのか分からないまま深沢さんという動物病院までの10分くらいをただただシートの奥で固まっていた。
デニーズの看板とかガソリンスタンドの灯りとか流れていくものを一生懸命眺めていた。
真っ暗な夜に車に乗ってることなんかそれが初めてだったんだよ。だからデニーズの煌々とした店内と誰も居ない店の中、ガソリンスタンドにも全く人影が見当たらないコントラストと非日常がとっても恐ろしく見えたんだ。
恐ろしいわけのわからない映画を見ているようだった。
そんな異次元の車の中で、僕はゆう君が今どこに居るのか、できることならば家で寝ていてくれないかなと考えていた。
そんなことはないのは分かっていたんだけど、そう願わずには居れなかったし、伯父さんにも伯母さんにもゆう君が今どこに居るのかどうしても聞くことができなかった。
彼は病院の廊下に座ってたんだけどね。
伯父さんと叔母さんが僕を迎えに行っている数十分の間、彼はハービーと一緒にそこで待っていたわけだ。
そんでいつもの顔でこっちを見たよ。
今でもその表情とかしぐさとかをよく覚えている。
これがハービーが死んだ日の話。
もちろん病院がどういった場所でとか、伯父さん叔母さんが何を話したかは詳細に覚えてるよ。
だけど君に伝えたい重要なことはただ、ただハービーがそこに横たわっていて、僕はまだ立っているってことなんだ。
僕はその日以降長い間ゆう君を直視できなくなっていたし、
伯父さん叔母さんにも今まで以上に何も言えなくなってしまった。
次の月には僕は逃げるようにして親の元に引っ越ししていて、日本人学校で数年間過ごすことになったんだ。
もともと親も数年後日本に戻ることになっていたから、中学受験をして日本の生活がまた始まったんだけど、そのときは帰ってくることができて心底ほっとしたね。
だってその国では僕らが日本人だって嫌というほど思い知らされるわけだ。すぐに慣れたけどね。
慣れて気にならなくなっていたけど、日本に戻ってきたときに思い出したんだよ。
どの店にも普通に入っていいし、どの席にも躊躇なく座っていいんだし、周りがなんだか日本人一色だってね。
君はフォレストガンプって映画の中のガンプ少年のスクールバスでのシーンを思い出せるかい?
足の悪い彼が席に座ろうとするたびに、すでに座っている子どもが開いている自分の隣をふさぐんだ、ババッて感じですばやくね。
そんでしょうがないから足を引きずりながら反対側に行ってみるとそこでもババッて感じで塞がれるんだ、あからさまにね。
非常にわかりやすくはっきりとあからさまなんだ。
まあ、そんなことが僕に対しても起こったわけだ。はっきりとわかりやすく。
僕はいっそのこと足にギブスをつけた方がいいんじゃないかって思ったけれどそれはナンセンスだよね。
だってギブスなんかつけなくても顔に日本人って書いてあるんだ、とってもはっきりとね。
たとえば、そんなことを真剣に話しても笑わないで聞いてくれるのはそのとき太田さんだけだったんだ。
君には太田さんの話をしなかったけど、太田さんは僕の人生の中でもっとも重要な役割を果たしたひとりなんだ、まちがいなく。
向こうはそんなことは全く思ってないだろうけどね。
彼女はいい加減に聞き流していただけなのかもしれないけど、とにかく中学時代に感じたこと思ったことを正直に話したのは太田さんだけだった。
犬の話を除いてね。
4.太田さんの話
太田さんに犬の話をしなかったのは、彼女がその夏転校していったからなんだ。
それでそれまでのように何でも話したり喧嘩したりできなくなってしまった。
そうなってから始めて気づくんだよね、今まで何が重要だったのか。
僕がこういう風に居られるのは、どこに僕だけのリードがあるのかちゃんと気づいてないとだめなんだ、ほんとは。
それで必要なときにぎゅっとそのリードを握って離さないんだ。
君にもそういうことってあるかい?後になって気づくことがさ。
特にとっても重要なことを。
僕は今まではっきりいってそれの繰り返しなんだ。
まったく、自分で自分が嫌になるくらいにね。
太田さんがずっとあとの高校卒業近い年に気まぐれで年賀状くれたときに、そこにはっきり気づいたんだ。
僕の気まぐれも相当なものなんだけど、太田さんの主要な成分も気まぐれでできているんだ、きっとね。
で、その年賀状を見て中学のときにした喧嘩みたいなことや暇つぶしなんかを思い出したわけだ。
喧嘩といっても、彼女が自分の荷物を気にせずどかどかと僕の机の上に置くから僕が文句を言ったりとその程度だけど。
あとクラスの特定の女の子をみんながからかってることがあって、それに僕も便乗したから太田さんが怒ったりしたことをね。
でもあとあと考えてみると、ここまでいろいろ言いあえたり真剣な話ができたのは太田さんくらいしか居ないわけなんだよ。
男同士だと会話の9割が下ネタだったからね。
で、夕方のホームルームなんかで何かの委員を決めるとするじゃない。
立候補者が居ないとえんえんと話し合いが続いたりするんだ。
延々とみなの根競べなわけで、30分・・・1時間と貴重な時間が流れていくわけなんだ。そのあいだ何もすることないんだ。何も。ただだまっているしかないのさ。
誰かが根負けして(あるいは大事な用事のために)自らを犠牲にするまでずっと静かな戦いがあるわけだ。
そんなとき、教室の一番後ろの席で机の上に置いたカバンやコートの間に突っ伏したり隠れながら、僕と太田さんはさまざまな話をした。
彼女は小さくてガリガリだからきっと隠れるのは得意なんだ。
先生なんかに注意を受けたことなんて一度だって見たことがない。
けれど態度はでかかったと思うな。
何かと指をさされてズバズバ言われるのであとあと思い出しては腹がたってきたことがあったんだ。
そもそも初めて会ったときにもこっちを指して友達と冗談言って笑ってたんだから印象最悪なんだ。
僕がそんなに笑われるほど変だったかって?
もちろんそれは否定できないし君も分かってるだろう、だいたい。
ただし、こういう暇つぶししなければならない状況では最高の友達になれてたはずなんだ。
たいていは下らない話だったし、メモとペンを使って簡単なゲームしたり彼女がハイテンションで歌を歌ったりしていたこともあるんだけど、よく考えてみると太田さんがそのとき夢中になっていたダンスとか全く興味なかったし、歌ってる歌もまったくもってわからなかったんだ。
けれどお互い話がほとんど一方通行でも気兼ねしないで居られるって、ときには最高だよね?
生返事しか来ないの最初からわかってて話すのは楽だし、面倒になったら途中で話すのやめちゃってもいいんだ。
こういう相手って結構居るんじゃないかって思っていたけど、僕にとっては後にも先にも彼女だけなんだ。
けれど夏の間に彼女は転校して、彼女の席もなくなってしまった。
でもね、それはそれで良かったし、結構のびのびできた。
僕の机は占領されることもなくなったし、喧嘩して気を揉むこともなくなったし、とにかくすごく広々したんだ。
ただ、ある秋の日の午後に、窓からだいぶ柔らかくなってきた日差しが入ってきて、その日差しの角度と反射の所為でちょっとの間黒板が見えにくくなっていて、授業は数学か何かで、ミッチーか敏郎か誰かと先生でたぶん図形の公式で議論してて、そんなときに太田さんに話したいことを思い出したんだ。今この話を太田さんにならできると思った。
僕が飼っていた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
その話はもちろんハービーの話だったし、それから従兄弟の話でもあるんだ。
夏休み直前に従兄弟が僕を訪ねてきたからね。
5.従兄弟の話
そういえば君には姉妹が居ることは知っていたけど、従兄弟は居るのかい?
なんだかちょっと聞いたことあるような気がするけどそれが君の従兄弟の話だったかどうか自信がないな。
僕にとっての従兄弟はゆう君1人ではないけれど、同じ歳だし小さい頃から仲の良いのは彼だけなんだ。
他の従兄弟の中には親の葬儀のときに初めてまともに会話した人だっているくらいだ。まあ歳は10歳くらい離れているけどさ。
でも一言話しただけで、ああなんだか昔から知っててもおかしくないような気がすると思って、同じように向こうも思ったんだろうか少しの時間でいろいろくだけて話せるようになったんだよね。
でも、その歳の離れている従兄弟たちとは本当は自分が物心つく前のすごく小さいときに会ったことがあるらしいんだ。僕はよく覚えてないけど。
で、その葬儀のときあれを思い出したんだよね。
ほら源頼朝と義経が再会する話あるじゃない?
確か鎌倉で。
小さい頃一緒に母親と雪道を逃げだした深い絆があるはずの兄弟が、平家を倒すという同じ目的の中、直接会わないながらも戦いを続けてやっと会うんだ。確か鎌倉で。
結局そのあと悲しい話になるけれど、もしこれが従兄弟同士だったら違ってたんじゃないかと思うんだ。
きっと何もかもうまくいっていたはずだとそう思うんだ。
君はどう思う?
君にとっての従兄弟ってどういう存在なのかな。
僕とゆう君は結局何もかもうまくいったんだ。
再会したのは中学2年の夏休み直前だったから、本当に何年も経っていたんだ。
でもこれ一番楽しい時期だよね?中学2年でしかももうすぐ夏休みって日なんだから。
7月中旬で期末テストなんかを適当にこなせばあとは授業がどんどん短くなっていって、一番暑い日差しの中を遊びながら帰ってそのまま夏休みが始まるんだ。
そのときも半日で終わる日の最後の音楽の授業中で、とても怖くて恐れられていた先生が教壇に立っていたはずなんだけど、そんなことはもう全く気にならないくらいに夏休みが楽しみで仕方なかったんだよね。
僕らの音楽室は扇状に席が広がっていて同時に段差も付いていて一番後ろの席がもっとも高い位置にあるんだ。
黒板とかを見下ろすような形になっていて、その一番後ろの窓際の席で窓から入ってくる空気をほぼ一人占めしながらちょっと眠くなってきていたときだった。
窓の下はグラウンドが広がっていてその先には小学校が見えて斜め向いの道路を隔てた先には城跡とお堀が広がっている。
道は遠くからでも目一杯熱くなってるのがわかるんだ。
陽炎が立ち上ってゆらゆら揺れていたからね。
その陽炎越しに城の堀の中を静かにボートがやってきているのを見つけたんだ。
堀の中にその小さな薄い青色のボートが浮かんでいるのを僕はそのとき初めて見たし、ボートなんかじゃなくとも、カモや錦鯉や緑に淀んだ水と水草以外がお堀にあるのは初めて見たんだ。
ボートがエンジンを回転させるのは一瞬。すぐに切って惰性に任せるとただひとり乗っているおじさんは川底を長い棒でつつくように検査をしているようなのだ。
それからちょっとボートを止めるとカモとコイに餌を撒いてる姿が見えた。
あの人がカモに餌をやってたのか!って僕は本当に驚いた。
僕は長い間疑問に思ってたことが目の前で解かれていくことに夢中になっていたんだ。
退屈な授業がなかったら日常で窓の外の風景や空の雲とか見ることなんかまずないんだけど、君はどうだい?
最近君は風景に感動したことあるかな。
こういうカモに餌をやってるとこなんかも人に話してもなんにも面白がられないだろうけど、僕は興奮してそれでも誰かにしゃべりたくて結局太田さんをツツいて「あれ見てみ、餌やってる」って教えたんだ。
太田さんが今までに餌やりを目撃したことがあるかどうかはわからないけど、彼女がしばらく眩しそうに外を見てるうちに授業は終わっていた。
僕は窓から半分身を乗り出してボートの方をじっと見たんだ。
陽炎でゆらゆら揺れているし、堀の水が太陽を反射して眩しい。よおく見ておこうと思ってね。風はそんなに無くて窓の外の空気はとっても暑かった。
「夏休み中に転校するからあたし2学期はもう居ないよ」
と太田さんが言った。正確にはなんて言ったか覚えてないんだけど、なんかそんな脈絡のない会話だったんだ。
音楽室に残っているのはうちらのほかは若ちゃんと先生が何か話しているくらいだった。
「先生ー、カモに餌やってるの見えるよ」
僕は前の方に居る先生と若ちゃんにも怒鳴って教えてみた。
彼らは外の様子を見て少し何か言ったあと、また元の会話に戻ったようだ。たぶん期末テストの話かな。
「夏休み中?1学期終わりじゃなくて?」と僕は太田さんに聞いた。
「夏休みの部活に少し来て、8月途中で引っ越しする予定、たぶんね」
ああなるほどね、でも中途半端だね。
太田さんも離れたところで窓を全開にして、でも風が来ないので教科書かノートでパタパタあおっていたんだけど、
「あれ、誰か来る」とグラウンドを指差した。
それが従兄弟のゆう君だったんだ。
自分の目を疑うってきっとこういうことだよね。
彼は僕が初めて目にする私立の学校の制服を着て、あろうことかグラウンドを斜めに横切って歩いてきた。
けれどもそれは確かにゆう君だったんだ。
バスケ部って聞いてたけど確かに覚えている小学生のときからは背は格段に伸びていた。
誰かに見つかったら咎められるか絡まれるかするんじゃないかってくらいに場違いなんだけど、ここからでもゆう君が暑そうで一刻も早く日陰に入りたい、だからまっすぐ玄関に行きたいから他人の庭を横切ってきたっていうのがありあり分かるんだ。
僕はゆうううううううと大きい声で叫んで
彼がこっちを向くか向かないかのときには教室を飛び出すと、廊下を走り、一年にぶつかりそうになりながら階段を2段ぬかしで駆け下りて上履きのまま入口に降りた。
僕が息を整えている間、彼は暑いなーと言いながら笑っていた。
なんで?なにしに来たん?
「お前ら、まだ学校あるの?」
そっちは無いの?
「終業式が終わったから来てみた」とゆう君は言った。
彼は手ぶらでYシャツの裾をバサバサとさせて空気を入れると珍しそうに周りを見渡していた。
てかあれ、荷物は?1回家帰ったのか?
「ああー後で部活があるんだよね、まだ学校」
ふーん、とりあえずまだホームルームあるからさ、ちょっと待っててよ
ってどこかで待ってもらおうと思ったけど、結局うちのクラスの廊下まで来てもらった。
3年なんかにつかまるとまずいからね。
これが従兄弟と久しぶりに会った話。
彼はこのとき
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って僕を誘ったんだ。
君は中学生の夏休みは何してたかな?
友達同士でどっか行ったりしたかい?
ゆう君と僕はね、大府というところのおばあちゃんの家に泊まりに行くことにした。それから2人で名古屋に遊びに行くことにしたんだ。
もう君にもおおかたの予想はついているとおり、ハービーが死んだことを僕に言う役目は伯父さんが荷ったわけさ。
伯父さんが前を向いたまま暗い道を運転しながら動物病院でのハービーの最期を伝え話している後ろで、むしろ叔母さんの方が僕の目をのぞきこんでいたんだ。
それで途中で耐えきれなくなって泣き出しちゃった。
僕が泣き出さなかったのは、かわりに叔母さんが泣いてくれたからなんかじゃない。
ハービーが死んだことをちゃんと受け止められなかったからでもない。
もちろんそれらもあるんだろうけど、僕にとっての問題はもっととっても重要なことだった。
君にはこの先うまく説明できるかわかんないけど、この話の最後の最後には、もしかすると君にだけは僕の気持ちが分かってくれるかもしれないと思ってるよ。
だから長い話になるかもしれないけど、誰がなんといおうとちゃんとこの話を続けることにしたんだ。
僕にとってのそのときの恐怖は、まずゆうくんに会ってなんて言えばいいのか分からなかったことだ。
ハービーはほんとのほんとはこの人たちの家族で、もっと言えば本当の本当は従兄弟のゆう君の家族なんだってことだ。
僕はどうしていいのか分からないまま深沢さんという動物病院までの10分くらいをただただシートの奥で固まっていた。
デニーズの看板とかガソリンスタンドの灯りとか流れていくものを一生懸命眺めていた。
真っ暗な夜に車に乗ってることなんかそれが初めてだったんだよ。だからデニーズの煌々とした店内と誰も居ない店の中、ガソリンスタンドにも全く人影が見当たらないコントラストと非日常がとっても恐ろしく見えたんだ。
恐ろしいわけのわからない映画を見ているようだった。
そんな異次元の車の中で、僕はゆう君が今どこに居るのか、できることならば家で寝ていてくれないかなと考えていた。
そんなことはないのは分かっていたんだけど、そう願わずには居れなかったし、伯父さんにも伯母さんにもゆう君が今どこに居るのかどうしても聞くことができなかった。
彼は病院の廊下に座ってたんだけどね。
伯父さんと叔母さんが僕を迎えに行っている数十分の間、彼はハービーと一緒にそこで待っていたわけだ。
そんでいつもの顔でこっちを見たよ。
今でもその表情とかしぐさとかをよく覚えている。
これがハービーが死んだ日の話。
もちろん病院がどういった場所でとか、伯父さん叔母さんが何を話したかは詳細に覚えてるよ。
だけど君に伝えたい重要なことはただ、ただハービーがそこに横たわっていて、僕はまだ立っているってことなんだ。
僕はその日以降長い間ゆう君を直視できなくなっていたし、
伯父さん叔母さんにも今まで以上に何も言えなくなってしまった。
次の月には僕は逃げるようにして親の元に引っ越ししていて、日本人学校で数年間過ごすことになったんだ。
もともと親も数年後日本に戻ることになっていたから、中学受験をして日本の生活がまた始まったんだけど、そのときは帰ってくることができて心底ほっとしたね。
だってその国では僕らが日本人だって嫌というほど思い知らされるわけだ。すぐに慣れたけどね。
慣れて気にならなくなっていたけど、日本に戻ってきたときに思い出したんだよ。
どの店にも普通に入っていいし、どの席にも躊躇なく座っていいんだし、周りがなんだか日本人一色だってね。
君はフォレストガンプって映画の中のガンプ少年のスクールバスでのシーンを思い出せるかい?
足の悪い彼が席に座ろうとするたびに、すでに座っている子どもが開いている自分の隣をふさぐんだ、ババッて感じですばやくね。
そんでしょうがないから足を引きずりながら反対側に行ってみるとそこでもババッて感じで塞がれるんだ、あからさまにね。
非常にわかりやすくはっきりとあからさまなんだ。
まあ、そんなことが僕に対しても起こったわけだ。はっきりとわかりやすく。
僕はいっそのこと足にギブスをつけた方がいいんじゃないかって思ったけれどそれはナンセンスだよね。
だってギブスなんかつけなくても顔に日本人って書いてあるんだ、とってもはっきりとね。
たとえば、そんなことを真剣に話しても笑わないで聞いてくれるのはそのとき太田さんだけだったんだ。
君には太田さんの話をしなかったけど、太田さんは僕の人生の中でもっとも重要な役割を果たしたひとりなんだ、まちがいなく。
向こうはそんなことは全く思ってないだろうけどね。
彼女はいい加減に聞き流していただけなのかもしれないけど、とにかく中学時代に感じたこと思ったことを正直に話したのは太田さんだけだった。
犬の話を除いてね。
4.太田さんの話
太田さんに犬の話をしなかったのは、彼女がその夏転校していったからなんだ。
それでそれまでのように何でも話したり喧嘩したりできなくなってしまった。
そうなってから始めて気づくんだよね、今まで何が重要だったのか。
僕がこういう風に居られるのは、どこに僕だけのリードがあるのかちゃんと気づいてないとだめなんだ、ほんとは。
それで必要なときにぎゅっとそのリードを握って離さないんだ。
君にもそういうことってあるかい?後になって気づくことがさ。
特にとっても重要なことを。
僕は今まではっきりいってそれの繰り返しなんだ。
まったく、自分で自分が嫌になるくらいにね。
太田さんがずっとあとの高校卒業近い年に気まぐれで年賀状くれたときに、そこにはっきり気づいたんだ。
僕の気まぐれも相当なものなんだけど、太田さんの主要な成分も気まぐれでできているんだ、きっとね。
で、その年賀状を見て中学のときにした喧嘩みたいなことや暇つぶしなんかを思い出したわけだ。
喧嘩といっても、彼女が自分の荷物を気にせずどかどかと僕の机の上に置くから僕が文句を言ったりとその程度だけど。
あとクラスの特定の女の子をみんながからかってることがあって、それに僕も便乗したから太田さんが怒ったりしたことをね。
でもあとあと考えてみると、ここまでいろいろ言いあえたり真剣な話ができたのは太田さんくらいしか居ないわけなんだよ。
男同士だと会話の9割が下ネタだったからね。
で、夕方のホームルームなんかで何かの委員を決めるとするじゃない。
立候補者が居ないとえんえんと話し合いが続いたりするんだ。
延々とみなの根競べなわけで、30分・・・1時間と貴重な時間が流れていくわけなんだ。そのあいだ何もすることないんだ。何も。ただだまっているしかないのさ。
誰かが根負けして(あるいは大事な用事のために)自らを犠牲にするまでずっと静かな戦いがあるわけだ。
そんなとき、教室の一番後ろの席で机の上に置いたカバンやコートの間に突っ伏したり隠れながら、僕と太田さんはさまざまな話をした。
彼女は小さくてガリガリだからきっと隠れるのは得意なんだ。
先生なんかに注意を受けたことなんて一度だって見たことがない。
けれど態度はでかかったと思うな。
何かと指をさされてズバズバ言われるのであとあと思い出しては腹がたってきたことがあったんだ。
そもそも初めて会ったときにもこっちを指して友達と冗談言って笑ってたんだから印象最悪なんだ。
僕がそんなに笑われるほど変だったかって?
もちろんそれは否定できないし君も分かってるだろう、だいたい。
ただし、こういう暇つぶししなければならない状況では最高の友達になれてたはずなんだ。
たいていは下らない話だったし、メモとペンを使って簡単なゲームしたり彼女がハイテンションで歌を歌ったりしていたこともあるんだけど、よく考えてみると太田さんがそのとき夢中になっていたダンスとか全く興味なかったし、歌ってる歌もまったくもってわからなかったんだ。
けれどお互い話がほとんど一方通行でも気兼ねしないで居られるって、ときには最高だよね?
生返事しか来ないの最初からわかってて話すのは楽だし、面倒になったら途中で話すのやめちゃってもいいんだ。
こういう相手って結構居るんじゃないかって思っていたけど、僕にとっては後にも先にも彼女だけなんだ。
けれど夏の間に彼女は転校して、彼女の席もなくなってしまった。
でもね、それはそれで良かったし、結構のびのびできた。
僕の机は占領されることもなくなったし、喧嘩して気を揉むこともなくなったし、とにかくすごく広々したんだ。
ただ、ある秋の日の午後に、窓からだいぶ柔らかくなってきた日差しが入ってきて、その日差しの角度と反射の所為でちょっとの間黒板が見えにくくなっていて、授業は数学か何かで、ミッチーか敏郎か誰かと先生でたぶん図形の公式で議論してて、そんなときに太田さんに話したいことを思い出したんだ。今この話を太田さんにならできると思った。
僕が飼っていた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
その話はもちろんハービーの話だったし、それから従兄弟の話でもあるんだ。
夏休み直前に従兄弟が僕を訪ねてきたからね。
5.従兄弟の話
そういえば君には姉妹が居ることは知っていたけど、従兄弟は居るのかい?
なんだかちょっと聞いたことあるような気がするけどそれが君の従兄弟の話だったかどうか自信がないな。
僕にとっての従兄弟はゆう君1人ではないけれど、同じ歳だし小さい頃から仲の良いのは彼だけなんだ。
他の従兄弟の中には親の葬儀のときに初めてまともに会話した人だっているくらいだ。まあ歳は10歳くらい離れているけどさ。
でも一言話しただけで、ああなんだか昔から知っててもおかしくないような気がすると思って、同じように向こうも思ったんだろうか少しの時間でいろいろくだけて話せるようになったんだよね。
でも、その歳の離れている従兄弟たちとは本当は自分が物心つく前のすごく小さいときに会ったことがあるらしいんだ。僕はよく覚えてないけど。
で、その葬儀のときあれを思い出したんだよね。
ほら源頼朝と義経が再会する話あるじゃない?
確か鎌倉で。
小さい頃一緒に母親と雪道を逃げだした深い絆があるはずの兄弟が、平家を倒すという同じ目的の中、直接会わないながらも戦いを続けてやっと会うんだ。確か鎌倉で。
結局そのあと悲しい話になるけれど、もしこれが従兄弟同士だったら違ってたんじゃないかと思うんだ。
きっと何もかもうまくいっていたはずだとそう思うんだ。
君はどう思う?
君にとっての従兄弟ってどういう存在なのかな。
僕とゆう君は結局何もかもうまくいったんだ。
再会したのは中学2年の夏休み直前だったから、本当に何年も経っていたんだ。
でもこれ一番楽しい時期だよね?中学2年でしかももうすぐ夏休みって日なんだから。
7月中旬で期末テストなんかを適当にこなせばあとは授業がどんどん短くなっていって、一番暑い日差しの中を遊びながら帰ってそのまま夏休みが始まるんだ。
そのときも半日で終わる日の最後の音楽の授業中で、とても怖くて恐れられていた先生が教壇に立っていたはずなんだけど、そんなことはもう全く気にならないくらいに夏休みが楽しみで仕方なかったんだよね。
僕らの音楽室は扇状に席が広がっていて同時に段差も付いていて一番後ろの席がもっとも高い位置にあるんだ。
黒板とかを見下ろすような形になっていて、その一番後ろの窓際の席で窓から入ってくる空気をほぼ一人占めしながらちょっと眠くなってきていたときだった。
窓の下はグラウンドが広がっていてその先には小学校が見えて斜め向いの道路を隔てた先には城跡とお堀が広がっている。
道は遠くからでも目一杯熱くなってるのがわかるんだ。
陽炎が立ち上ってゆらゆら揺れていたからね。
その陽炎越しに城の堀の中を静かにボートがやってきているのを見つけたんだ。
堀の中にその小さな薄い青色のボートが浮かんでいるのを僕はそのとき初めて見たし、ボートなんかじゃなくとも、カモや錦鯉や緑に淀んだ水と水草以外がお堀にあるのは初めて見たんだ。
ボートがエンジンを回転させるのは一瞬。すぐに切って惰性に任せるとただひとり乗っているおじさんは川底を長い棒でつつくように検査をしているようなのだ。
それからちょっとボートを止めるとカモとコイに餌を撒いてる姿が見えた。
あの人がカモに餌をやってたのか!って僕は本当に驚いた。
僕は長い間疑問に思ってたことが目の前で解かれていくことに夢中になっていたんだ。
退屈な授業がなかったら日常で窓の外の風景や空の雲とか見ることなんかまずないんだけど、君はどうだい?
最近君は風景に感動したことあるかな。
こういうカモに餌をやってるとこなんかも人に話してもなんにも面白がられないだろうけど、僕は興奮してそれでも誰かにしゃべりたくて結局太田さんをツツいて「あれ見てみ、餌やってる」って教えたんだ。
太田さんが今までに餌やりを目撃したことがあるかどうかはわからないけど、彼女がしばらく眩しそうに外を見てるうちに授業は終わっていた。
僕は窓から半分身を乗り出してボートの方をじっと見たんだ。
陽炎でゆらゆら揺れているし、堀の水が太陽を反射して眩しい。よおく見ておこうと思ってね。風はそんなに無くて窓の外の空気はとっても暑かった。
「夏休み中に転校するからあたし2学期はもう居ないよ」
と太田さんが言った。正確にはなんて言ったか覚えてないんだけど、なんかそんな脈絡のない会話だったんだ。
音楽室に残っているのはうちらのほかは若ちゃんと先生が何か話しているくらいだった。
「先生ー、カモに餌やってるの見えるよ」
僕は前の方に居る先生と若ちゃんにも怒鳴って教えてみた。
彼らは外の様子を見て少し何か言ったあと、また元の会話に戻ったようだ。たぶん期末テストの話かな。
「夏休み中?1学期終わりじゃなくて?」と僕は太田さんに聞いた。
「夏休みの部活に少し来て、8月途中で引っ越しする予定、たぶんね」
ああなるほどね、でも中途半端だね。
太田さんも離れたところで窓を全開にして、でも風が来ないので教科書かノートでパタパタあおっていたんだけど、
「あれ、誰か来る」とグラウンドを指差した。
それが従兄弟のゆう君だったんだ。
自分の目を疑うってきっとこういうことだよね。
彼は僕が初めて目にする私立の学校の制服を着て、あろうことかグラウンドを斜めに横切って歩いてきた。
けれどもそれは確かにゆう君だったんだ。
バスケ部って聞いてたけど確かに覚えている小学生のときからは背は格段に伸びていた。
誰かに見つかったら咎められるか絡まれるかするんじゃないかってくらいに場違いなんだけど、ここからでもゆう君が暑そうで一刻も早く日陰に入りたい、だからまっすぐ玄関に行きたいから他人の庭を横切ってきたっていうのがありあり分かるんだ。
僕はゆうううううううと大きい声で叫んで
彼がこっちを向くか向かないかのときには教室を飛び出すと、廊下を走り、一年にぶつかりそうになりながら階段を2段ぬかしで駆け下りて上履きのまま入口に降りた。
僕が息を整えている間、彼は暑いなーと言いながら笑っていた。
なんで?なにしに来たん?
「お前ら、まだ学校あるの?」
そっちは無いの?
「終業式が終わったから来てみた」とゆう君は言った。
彼は手ぶらでYシャツの裾をバサバサとさせて空気を入れると珍しそうに周りを見渡していた。
てかあれ、荷物は?1回家帰ったのか?
「ああー後で部活があるんだよね、まだ学校」
ふーん、とりあえずまだホームルームあるからさ、ちょっと待っててよ
ってどこかで待ってもらおうと思ったけど、結局うちのクラスの廊下まで来てもらった。
3年なんかにつかまるとまずいからね。
これが従兄弟と久しぶりに会った話。
彼はこのとき
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って僕を誘ったんだ。
君は中学生の夏休みは何してたかな?
友達同士でどっか行ったりしたかい?
ゆう君と僕はね、大府というところのおばあちゃんの家に泊まりに行くことにした。それから2人で名古屋に遊びに行くことにしたんだ。
甘夏
2009年1月18日 本当の犬の話をしよう コメント (3)アマナツってなんですか?
僕は外岡さんに聞いてみた。
外岡さんは少し前まではすどうさんだった。
「ソ連のさゆーすっていうロケットをね、私が甘夏ってよんでいるのよ」
少し前まですどうさんだった外岡さんが答える。
僕は以前のようにうまく言葉が出てこない。
なしてなん・・・
「え?」
外岡さんが須藤さんの顔で僕を少し覗き込む。
「えへへ・・・」
僕は苦笑いのような照れ笑いをした。
外岡さんは新品のレコードを高い棚に突っ込むために背伸びをした。
「さゆーすがね、宇宙旅行する人を募集しているのよ。
だからいつかね、いつかというかできればこういう・・・」
そこでくるっとこっちを向いた。
「こういう殺されそうな暑さの日に私を乗せてくれないかなあって思っていたのよ」
・・・ああ
僕は乾いた相槌を打った。
ドアの向こうは直射日光がまぶしくキツイ別の世界。
ここは冷房のよく利いた暗くて狭いレコードを売るお店。
それで・・・須藤さんはいつか外岡さんにその夢を叶えてもらえそうなんですか?
その質問を頭の中ではっきりと作り上げる前に、僕は質問すること自体をあきらめていた。
すどうさんのことを以前のように「すどうさん」とも「外岡さん」とも呼べなくなっているのに僕は気づく。
結局いまだにこの人の正確な年齢も知らない。
「オレ、夏期講あるからじゃあね」
と逃げるように外に出た。
ああ、アマナツって甘い夏の夢ってことね
と僕は気づく。
さようなら、甘夏さん
彼女はドアの向こうでニッと笑うとカウンターに引っこんでいった。
soyuz
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/Soyuz-TMA_parts.jpg
僕は外岡さんに聞いてみた。
外岡さんは少し前まではすどうさんだった。
「ソ連のさゆーすっていうロケットをね、私が甘夏ってよんでいるのよ」
少し前まですどうさんだった外岡さんが答える。
僕は以前のようにうまく言葉が出てこない。
なしてなん・・・
「え?」
外岡さんが須藤さんの顔で僕を少し覗き込む。
「えへへ・・・」
僕は苦笑いのような照れ笑いをした。
外岡さんは新品のレコードを高い棚に突っ込むために背伸びをした。
「さゆーすがね、宇宙旅行する人を募集しているのよ。
だからいつかね、いつかというかできればこういう・・・」
そこでくるっとこっちを向いた。
「こういう殺されそうな暑さの日に私を乗せてくれないかなあって思っていたのよ」
・・・ああ
僕は乾いた相槌を打った。
ドアの向こうは直射日光がまぶしくキツイ別の世界。
ここは冷房のよく利いた暗くて狭いレコードを売るお店。
それで・・・須藤さんはいつか外岡さんにその夢を叶えてもらえそうなんですか?
その質問を頭の中ではっきりと作り上げる前に、僕は質問すること自体をあきらめていた。
すどうさんのことを以前のように「すどうさん」とも「外岡さん」とも呼べなくなっているのに僕は気づく。
結局いまだにこの人の正確な年齢も知らない。
「オレ、夏期講あるからじゃあね」
と逃げるように外に出た。
ああ、アマナツって甘い夏の夢ってことね
と僕は気づく。
さようなら、甘夏さん
彼女はドアの向こうでニッと笑うとカウンターに引っこんでいった。
soyuz
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/Soyuz-TMA_parts.jpg
本当の犬の話をしよう
2004年12月2日 本当の犬の話をしよう窓の外がすごく晴れててさ、来週からもう夏休みでね、中学2年の。
中学2年って覚えてる?
僕の隣にはいつも太田さんが居たように思う。隣の席にね。
君は中学2年のときに、なんというかすごく仲の良い友達とか居たかな?
別に中学2年のときじゃなくてもいいんだ。
僕にとって中学2年ってだけで、もちろん君にとっては、たとえば中学1年だったかもしれないし、中学3年かもしれないし、高校生のときかもしれないし、あるいは今現在かもしれないし、あるいは今からさらに5年後かもしれないし、あるいは・・・まあとにかくさ、本当に仲の良い友達って居たかなって思ったんだ。
もし居たのなら、僕がこれから書くことってちょっとずつあるいはちょっとだけうまく伝わるような気がするんだよね。
なぜなら、僕にとっての中学2年ってのは、たとえば、仲の良い友達が純粋に仲の良い友達だって言えて、仲の悪い友達が純粋に素直に仲の悪い友達って言えたからなんだ。
仲の悪い友達っていう表現がいまひとつ良くないようだけど(だってさ、仲が悪いって時点で友達なのかどうなのかって本質的に疑問が残るよね?)、とにかく中学2年の僕にとっては仲の悪い友達は仲の悪い友達っていうのが一番しっくりくるんだ。
太田さんは仲の良い友達だったのか仲の悪い友達だったのかよくわからない。
でも席替えのたびに太田さんの隣に座ろうとしてたように思ってて、なぜかうまくいつも太田さんの隣に座ってたんだ。
別に好きとか恋をしてるとか愛し合ってるとか全然なかったのに(そのときは他にいたんだ、気に入ってる人が)、本当に不思議なんだけど、とにかく中学2年の僕のとなりの席には常に太田さんだったし、太田さんの隣に座りたいと席替えのたびに思ってたんだよね。
その辺のところがあるいは君にちょっとだけうまく伝わるとうれしいなと思った。
でも実際には太田さんが友達って呼べるかどうかさえはっきりしないんだ。
中学2年の僕じゃなかったらあるいはもっとうまくやれてたかもしれないし、あるいはそうじゃないかもしれない、友達なのか友達でもないかもしれないなのか良くわからないけど、そんな風になんかあいまいで・・・ってのが一番いいのかもしれない。
つまりね、もし僕が中学1年生で隣の席がたまたま太田さんだったら僕はあるいは好きになってて告白したりふられたり落ち込んだり、そういった君にはっきり伝えられる話があるのかもしれない。
あるいは僕が中学3年のときに太田さんと同じクラスになったりしてたのなら、隣の席に固執するなんてまるでなかったのかもしれない。
つまりそういうことなんだ。
中学2年のときに太田さんと1回隣の席になって、そのあと「席替えとかしませんか」とクラスの中でそういう雰囲気になって、そういうふうに実際席替えになったとき、太田さんの隣の席に固執したのはなぜかという疑問に、はっきりとは答えを表現できないし、それから仲の良い友達なのか仲の悪い友達なのかもはっきりしないし、さらに友達と呼べるのかどうかもはっきりしなかったんだよね。まったく。
唯一はっきりしているのは、
夏休み中に太田さんは転校していって僕の席の隣は誰も居なくなったんだけど、それで一人でのびのびとしていたんだけど、ある秋の日の午後に、窓から日差しが入ってきて、授業は数学か何かで、そのときに太田さんが居なかったので僕は話したい話ができなかったんだ。僕が飼ってた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
それが唯一僕が太田さんについてはっきり言えること。
話したいときに君は居ないってことだ。
4.従兄弟の話
本当の自由ってなんだろうね。
たとえばさ、数学の時間に右手でペンをくるくる回しながらさ、左手でそっと少しずつ窓を開けてくんだよね。
もう夏が近くて、いやもう思いっきり夏なんだけど、だからちょっと蒸した空気の中をさらりとささやかな風が流れれば、それはもう気分を一新させるのに十分なんだ。
この感じをなんと呼べばいいかわからないけど、自由について考えるとき、いつもこのイメージが浮かぶんだよね。つまり考え方の方向性は間違っていないんだよ、きっと。
感じとしては。フィーリングとしては。
なんと呼んで良いかわからないけど、その「わからない」は自由についてどう表現していいかわからないときの「わからない」にとても似ていると思うんだ、僕の中では。
ところが従兄弟においては、彼はその、自由というものをこうはっきり僕に示したんだ。
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って。
彼が何を言ってるのか全くわからなくて途方にくれたのだが(本当に途方にくれてしばらく立ち尽くしたんだ)、それにはこういう訳がある。
ちょっと長いんだけどね。
それは音楽の授業から始まる。
音楽の授業は音楽室に移動なんだ。
移動したら好きな席に座るんだ。
校舎の東側の一番隅にあって、うちの教室からはけっこう遠いんだよね。
でも最上階(6階)にあって、窓からの眺めは結構いいんだ。
しかも教室が扇状になっていて、スタジアムのように段差がついているんだ。
一番後ろの席からは、教室全体を見下ろせるような形になっているしね。
中学2年って覚えてる?
僕の隣にはいつも太田さんが居たように思う。隣の席にね。
君は中学2年のときに、なんというかすごく仲の良い友達とか居たかな?
別に中学2年のときじゃなくてもいいんだ。
僕にとって中学2年ってだけで、もちろん君にとっては、たとえば中学1年だったかもしれないし、中学3年かもしれないし、高校生のときかもしれないし、あるいは今現在かもしれないし、あるいは今からさらに5年後かもしれないし、あるいは・・・まあとにかくさ、本当に仲の良い友達って居たかなって思ったんだ。
もし居たのなら、僕がこれから書くことってちょっとずつあるいはちょっとだけうまく伝わるような気がするんだよね。
なぜなら、僕にとっての中学2年ってのは、たとえば、仲の良い友達が純粋に仲の良い友達だって言えて、仲の悪い友達が純粋に素直に仲の悪い友達って言えたからなんだ。
仲の悪い友達っていう表現がいまひとつ良くないようだけど(だってさ、仲が悪いって時点で友達なのかどうなのかって本質的に疑問が残るよね?)、とにかく中学2年の僕にとっては仲の悪い友達は仲の悪い友達っていうのが一番しっくりくるんだ。
太田さんは仲の良い友達だったのか仲の悪い友達だったのかよくわからない。
でも席替えのたびに太田さんの隣に座ろうとしてたように思ってて、なぜかうまくいつも太田さんの隣に座ってたんだ。
別に好きとか恋をしてるとか愛し合ってるとか全然なかったのに(そのときは他にいたんだ、気に入ってる人が)、本当に不思議なんだけど、とにかく中学2年の僕のとなりの席には常に太田さんだったし、太田さんの隣に座りたいと席替えのたびに思ってたんだよね。
その辺のところがあるいは君にちょっとだけうまく伝わるとうれしいなと思った。
でも実際には太田さんが友達って呼べるかどうかさえはっきりしないんだ。
中学2年の僕じゃなかったらあるいはもっとうまくやれてたかもしれないし、あるいはそうじゃないかもしれない、友達なのか友達でもないかもしれないなのか良くわからないけど、そんな風になんかあいまいで・・・ってのが一番いいのかもしれない。
つまりね、もし僕が中学1年生で隣の席がたまたま太田さんだったら僕はあるいは好きになってて告白したりふられたり落ち込んだり、そういった君にはっきり伝えられる話があるのかもしれない。
あるいは僕が中学3年のときに太田さんと同じクラスになったりしてたのなら、隣の席に固執するなんてまるでなかったのかもしれない。
つまりそういうことなんだ。
中学2年のときに太田さんと1回隣の席になって、そのあと「席替えとかしませんか」とクラスの中でそういう雰囲気になって、そういうふうに実際席替えになったとき、太田さんの隣の席に固執したのはなぜかという疑問に、はっきりとは答えを表現できないし、それから仲の良い友達なのか仲の悪い友達なのかもはっきりしないし、さらに友達と呼べるのかどうかもはっきりしなかったんだよね。まったく。
唯一はっきりしているのは、
夏休み中に太田さんは転校していって僕の席の隣は誰も居なくなったんだけど、それで一人でのびのびとしていたんだけど、ある秋の日の午後に、窓から日差しが入ってきて、授業は数学か何かで、そのときに太田さんが居なかったので僕は話したい話ができなかったんだ。僕が飼ってた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
それが唯一僕が太田さんについてはっきり言えること。
話したいときに君は居ないってことだ。
4.従兄弟の話
本当の自由ってなんだろうね。
たとえばさ、数学の時間に右手でペンをくるくる回しながらさ、左手でそっと少しずつ窓を開けてくんだよね。
もう夏が近くて、いやもう思いっきり夏なんだけど、だからちょっと蒸した空気の中をさらりとささやかな風が流れれば、それはもう気分を一新させるのに十分なんだ。
この感じをなんと呼べばいいかわからないけど、自由について考えるとき、いつもこのイメージが浮かぶんだよね。つまり考え方の方向性は間違っていないんだよ、きっと。
感じとしては。フィーリングとしては。
なんと呼んで良いかわからないけど、その「わからない」は自由についてどう表現していいかわからないときの「わからない」にとても似ていると思うんだ、僕の中では。
ところが従兄弟においては、彼はその、自由というものをこうはっきり僕に示したんだ。
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って。
彼が何を言ってるのか全くわからなくて途方にくれたのだが(本当に途方にくれてしばらく立ち尽くしたんだ)、それにはこういう訳がある。
ちょっと長いんだけどね。
それは音楽の授業から始まる。
音楽の授業は音楽室に移動なんだ。
移動したら好きな席に座るんだ。
校舎の東側の一番隅にあって、うちの教室からはけっこう遠いんだよね。
でも最上階(6階)にあって、窓からの眺めは結構いいんだ。
しかも教室が扇状になっていて、スタジアムのように段差がついているんだ。
一番後ろの席からは、教室全体を見下ろせるような形になっているしね。
王の遺体がなくなったことについて
2004年2月29日 本当の犬の話をしようとにかく僕にとって、うどんのおいしさを理解する為に毎日毎食かかさずおかゆを食べなければならなかったのだし、叔母さんにわがままを言わなければならなかったんだ。
できれば叔母さんにはわがままを言いたくなかったんだよ。ほんとはね。
それがどんな小さなわがままだったとしてもね。
叔母さんはとってもよくしてくれたからね。
例えば毎日おかゆを作ってくれたことや、看病してくれたことや、知らない人についてっちゃだめよとしつこいくらいに注意してくれたことだって、あるいはなんか忘れてしまったけど些細なことで怒られたときでも、とにかく叔母さんは僕のためによかれと思ってやってくれているんだよ、それはもうとてつもなく確かなことなんだ。
それはね、たとえばここから遠く離れた太陽の国エジプトのあのスフィンクスがこれから先もどんどん崩れていって、それをもう誰も止められないってことくらいに確かなことなんだよね。
ほんの少ぉしずつだけど、どんどんどんどん崩れていくんだ。
もうスフィンクスには何も守るべきものがないんだよ。
かつてのピラミッドには既に王の遺体はなくなっているし、きっとその所為なんだよね。
王の遺体はいつか誰かが持ち去ってしまったんだ。そこに侵入した誰かがね。
彼らは闇の中を明るく照らして、ピラミッドの呪いを打ち消したかもしれないし、また彼らは王の棺をこじ開けても何も罰を受けなかったのかもしれない。
でも、おかげでスフィンクスは崩れていくんだ。少しずつね。
うまく言えないけど、叔母さんはとても現実的な人なんだ。
それが悪いわけじゃないし、それでいいんだと思う。
ただ、僕はわがまま言うどころか、本当は話すこともちゃんとできないでいるんだ。
つまり、スフィンクスの話なんてとてもできないってことさ。
僕にとってのスフィンクスは闇の奥の恐怖とか、悪いことをしたら罰を与える呪いとか、そんなものに直結してるんだ。
だからもし僕が今寝てるベッドの横にスフィンクスがじっと横たわっていたら、僕は何も言わずおかゆを食べ続けていたはずだよ。ずっとね。
夜はあいかわらず怖いはずだし、早くトイレに行かなかったことを必死に後悔するだろうし、近所のバイパスの道路の下のトンネルには近づかないようにしただろうし、暗闇の中では必死に耳をそばだてたさ。
僕はそういう風にもっといろいろなものに怯えていたのだろうが、それは誓って言うけど悪いことじゃないんだ。
だってね、暗闇の中でこそ五感は研ぎ澄まされていくんだ。
そして、もっと注意すべきことを注意できるはずなんだよね。
そういえば、寝込んでる何日かの間、従兄弟が1回だけ僕の寝室に来たんだ。こっそりと。
従兄弟が僕に近づくことは禁止されてたからね。風邪がうつるといけないからって叔母さんにいわれているんだよ、きっと。
叔母さんは、前に従兄弟がインフルエンザで寝込んでいたときも僕に決して従兄弟と会わせなかったんだ。
同じ空気を吸わなければ病気はうつらないよって言ったんだ、そのとき。
そういう面ではとても現実的なんだよ、叔母さんは。
従兄弟が僕の部屋にこっそりきて、それから何かしていったことは覚えてるんだけど、何をしてどういうことを話したのか覚えてないんだよね。まだ熱にうなされてる頃だったし、意識は朦朧、咳はごぼごぼ、汗はだくだくって感じだったんだ。
それから、叔母さんにうどんをねだった頃にはちゃんと元気になりつつあったんだけど、実はね、あの会話は嘘なんだ。
「おばさん、悪いんだけどね、おかゆって飽きちゃったんだ。だから普通のご飯じゃあ駄目かなあ。ほんとはね、普通のご飯も硬めに炊いたほうが好きなんだよね。今まで言わなかったけど。」
って書いたけど、本当は全然違ったんだ。
全然言えなかったんだ、そんな風には。
君なら分かるだろう?僕がこんな風に話せないことなんてさ。
そりゃこんな風にうまく言えたらどんなにいいだろうって思うさ、僕だって。
そりゃいつもそう思うんだ。
どんなに素敵だろうと思うんだ。
でも僕はそのとき夕飯のおかゆを前に何も言えなかったんだ。
一口も食べれなかったし、何もしゃべれなかったし、指一本動かせなかったんだよ。
おかゆの前でどうしたらいいか分からなかったし、誰も教えてくれなかったんだ。
教えてくれたのは叔母さんだった。
叔母さんは、どうしたの?って僕に聞いた。
それから、食べたくないの?とか、気持ち悪いの?とか僕に聞いたんだ。
後にする?とか
横になる?とか
背中さすろうか?とか
水飲もっか、とか
そのたびに僕は首をふって、それから次も首をふって、次も首をふって、
そしたら叔母さんは、おかゆは嫌なの?って聞いた。
おかゆは嫌なの?って聞かれて、僕はうんって言ったんだ。
それですぐに叔母さんは階下に下りていってうどんを茹でたんだ。うどんを茹でて僕に持ってきたんだよ。
僕は本当の本当はこういう風にわがままを言ったし、だけど、君には分かってほしいんだけど、こういう風にわがままを言いたくなかったんだ、ほんとに。
いつもね、何も言わないほうがよっぽどいいって思ってるんだよ。後で思うんだ。
それともね、僕の部屋のどこかにスフィンクスが居て、こうじっと僕を見据えていたとしたら、僕は黙って、ちゃんと毎日でもおかゆを食べれたんだと思う。きっとね。
叔母さんにわがままも言わないし、ちゃんと病人の優等生だし、誰も傷つかないで済むんだ。
ところで椎名誠の本に「さらば国分寺書店のオババ」っていう本があるけど、あのオババって主人公には一言も言葉を発してないんだ。意外だよね。
あのね、よく聞いてね。
僕はね、あの日ハービーと一緒に公園に行った話を今まで誰にも話したことはなかったんだ。公園で何をしたかもね。そうすることで誰も傷つかないで済むと思ってたからなんだ。
順番に話すとね、
あのね
朝4時か、その辺りに起こされたんだ。叔母さんに。
おかゆが嫌だって言った次の日の朝の4時ごろのことなんだ。
まだ暗かった。
僕はベッドに寝てて、部屋のカーテンはぴったり締め切っていた。それでも分かるんだ。外がまだ暗いってね。
時計も見なかったけどまだ4時か4時半くらいだってこともちゃんと分かった。
僕はそういうことが得意なんだよ。時計を見ないで時間を当てちゃうってことがね。
叔母さんは起こして悪いんだけどちょっと一緒に来てほしいの、って言った。それから僕の着替えを手伝ってくれて、僕のコートを左腕にかかえて、ドアをあけて、さあ行きましょうって言った。
僕と叔母さんは手袋なんかをはめながら階下に降りて、リビングの電気を消して靴を履いて外に出た。
できれば叔母さんにはわがままを言いたくなかったんだよ。ほんとはね。
それがどんな小さなわがままだったとしてもね。
叔母さんはとってもよくしてくれたからね。
例えば毎日おかゆを作ってくれたことや、看病してくれたことや、知らない人についてっちゃだめよとしつこいくらいに注意してくれたことだって、あるいはなんか忘れてしまったけど些細なことで怒られたときでも、とにかく叔母さんは僕のためによかれと思ってやってくれているんだよ、それはもうとてつもなく確かなことなんだ。
それはね、たとえばここから遠く離れた太陽の国エジプトのあのスフィンクスがこれから先もどんどん崩れていって、それをもう誰も止められないってことくらいに確かなことなんだよね。
ほんの少ぉしずつだけど、どんどんどんどん崩れていくんだ。
もうスフィンクスには何も守るべきものがないんだよ。
かつてのピラミッドには既に王の遺体はなくなっているし、きっとその所為なんだよね。
王の遺体はいつか誰かが持ち去ってしまったんだ。そこに侵入した誰かがね。
彼らは闇の中を明るく照らして、ピラミッドの呪いを打ち消したかもしれないし、また彼らは王の棺をこじ開けても何も罰を受けなかったのかもしれない。
でも、おかげでスフィンクスは崩れていくんだ。少しずつね。
うまく言えないけど、叔母さんはとても現実的な人なんだ。
それが悪いわけじゃないし、それでいいんだと思う。
ただ、僕はわがまま言うどころか、本当は話すこともちゃんとできないでいるんだ。
つまり、スフィンクスの話なんてとてもできないってことさ。
僕にとってのスフィンクスは闇の奥の恐怖とか、悪いことをしたら罰を与える呪いとか、そんなものに直結してるんだ。
だからもし僕が今寝てるベッドの横にスフィンクスがじっと横たわっていたら、僕は何も言わずおかゆを食べ続けていたはずだよ。ずっとね。
夜はあいかわらず怖いはずだし、早くトイレに行かなかったことを必死に後悔するだろうし、近所のバイパスの道路の下のトンネルには近づかないようにしただろうし、暗闇の中では必死に耳をそばだてたさ。
僕はそういう風にもっといろいろなものに怯えていたのだろうが、それは誓って言うけど悪いことじゃないんだ。
だってね、暗闇の中でこそ五感は研ぎ澄まされていくんだ。
そして、もっと注意すべきことを注意できるはずなんだよね。
そういえば、寝込んでる何日かの間、従兄弟が1回だけ僕の寝室に来たんだ。こっそりと。
従兄弟が僕に近づくことは禁止されてたからね。風邪がうつるといけないからって叔母さんにいわれているんだよ、きっと。
叔母さんは、前に従兄弟がインフルエンザで寝込んでいたときも僕に決して従兄弟と会わせなかったんだ。
同じ空気を吸わなければ病気はうつらないよって言ったんだ、そのとき。
そういう面ではとても現実的なんだよ、叔母さんは。
従兄弟が僕の部屋にこっそりきて、それから何かしていったことは覚えてるんだけど、何をしてどういうことを話したのか覚えてないんだよね。まだ熱にうなされてる頃だったし、意識は朦朧、咳はごぼごぼ、汗はだくだくって感じだったんだ。
それから、叔母さんにうどんをねだった頃にはちゃんと元気になりつつあったんだけど、実はね、あの会話は嘘なんだ。
「おばさん、悪いんだけどね、おかゆって飽きちゃったんだ。だから普通のご飯じゃあ駄目かなあ。ほんとはね、普通のご飯も硬めに炊いたほうが好きなんだよね。今まで言わなかったけど。」
って書いたけど、本当は全然違ったんだ。
全然言えなかったんだ、そんな風には。
君なら分かるだろう?僕がこんな風に話せないことなんてさ。
そりゃこんな風にうまく言えたらどんなにいいだろうって思うさ、僕だって。
そりゃいつもそう思うんだ。
どんなに素敵だろうと思うんだ。
でも僕はそのとき夕飯のおかゆを前に何も言えなかったんだ。
一口も食べれなかったし、何もしゃべれなかったし、指一本動かせなかったんだよ。
おかゆの前でどうしたらいいか分からなかったし、誰も教えてくれなかったんだ。
教えてくれたのは叔母さんだった。
叔母さんは、どうしたの?って僕に聞いた。
それから、食べたくないの?とか、気持ち悪いの?とか僕に聞いたんだ。
後にする?とか
横になる?とか
背中さすろうか?とか
水飲もっか、とか
そのたびに僕は首をふって、それから次も首をふって、次も首をふって、
そしたら叔母さんは、おかゆは嫌なの?って聞いた。
おかゆは嫌なの?って聞かれて、僕はうんって言ったんだ。
それですぐに叔母さんは階下に下りていってうどんを茹でたんだ。うどんを茹でて僕に持ってきたんだよ。
僕は本当の本当はこういう風にわがままを言ったし、だけど、君には分かってほしいんだけど、こういう風にわがままを言いたくなかったんだ、ほんとに。
いつもね、何も言わないほうがよっぽどいいって思ってるんだよ。後で思うんだ。
それともね、僕の部屋のどこかにスフィンクスが居て、こうじっと僕を見据えていたとしたら、僕は黙って、ちゃんと毎日でもおかゆを食べれたんだと思う。きっとね。
叔母さんにわがままも言わないし、ちゃんと病人の優等生だし、誰も傷つかないで済むんだ。
ところで椎名誠の本に「さらば国分寺書店のオババ」っていう本があるけど、あのオババって主人公には一言も言葉を発してないんだ。意外だよね。
あのね、よく聞いてね。
僕はね、あの日ハービーと一緒に公園に行った話を今まで誰にも話したことはなかったんだ。公園で何をしたかもね。そうすることで誰も傷つかないで済むと思ってたからなんだ。
順番に話すとね、
あのね
朝4時か、その辺りに起こされたんだ。叔母さんに。
おかゆが嫌だって言った次の日の朝の4時ごろのことなんだ。
まだ暗かった。
僕はベッドに寝てて、部屋のカーテンはぴったり締め切っていた。それでも分かるんだ。外がまだ暗いってね。
時計も見なかったけどまだ4時か4時半くらいだってこともちゃんと分かった。
僕はそういうことが得意なんだよ。時計を見ないで時間を当てちゃうってことがね。
叔母さんは起こして悪いんだけどちょっと一緒に来てほしいの、って言った。それから僕の着替えを手伝ってくれて、僕のコートを左腕にかかえて、ドアをあけて、さあ行きましょうって言った。
僕と叔母さんは手袋なんかをはめながら階下に降りて、リビングの電気を消して靴を履いて外に出た。
ボス猿のカツラ剥き
2004年2月17日 本当の犬の話をしようつまりね、「自分とは何か」ってテーマでいきなり禅のよーな話をし始めたら、ボス猿のカツラ剥きになるよな、って思ったんだ。仙道抜きのね。
でもさ、もし今ここに教授が居て、爺さんのテントでナイフを好きなだけ触らせてもらった僕とハーベストの「話の続き」を読んだら、きっと「要らない」って言うと思うんだ。
要らないって言ったわけじゃないよ?実際は。
さっき「教授が要らないって言った」って書いちゃったけどね。
実際に僕に向かってどうこう言ったわけじゃないんだ。
ただね、僕が思うに、たぶん続きは要らないって言うと思うんだよね。教授は。
だけど残念ながら僕とハーベストの話には続きがあるんだ。
たとえばね、ジョンアービングが『熊を放つ』って本書いてるんだけど、あれ最後の部分はきっと要らないんだ。ノートの内容の部分ね、うまく文章に入りきらなかったんだよきっと。
でもね、それでも書いてるんだ、彼は。
誰か有名な人が「ハックルベリーフィンの冒険は後半部分いらない」って言ったって聞いたけど、
あれは正確には、「どこそこより後は読むべきじゃない」って言ったんだよね。たしか。
つまりね、熊を放つにしろハックルベリーフィンの冒険にしろ書いちゃったものは書いちゃったんだよ。
それで書いちゃったものってのは、もともと初めから書くべきものだったんだよね、きっと。
それでそれを読んだ人から「後半はいらない」って言われるべきものなんだよきっと。
ここから後は読むなとかいらないとかなんとかかんとかそういうことを言われるべきものなんだと思うんだ。
いらないっていうことはさ、イコール書くべきじゃなかったってことにはならないと思うんだよね、きっと。
ところでポールセローの短編って、要らない部分は初めから書いてないんだよね。
3.話の続き
結局いつまでたっても雨はやまないんだ。
仕方ないから僕とハービーは公園から家まで走って帰ることにした。
コートを着てこなかったことを後悔すべきかどうかは微妙は問題なんだ。
コートが無い所為であまりにも寒いし冷たいし辛いし凍えそうなんだけど、でももしコートを着てたら雨でどんどん重くなって走りにくいんだ。たぶん。
僕の持ってるコートってもともと結構重いんだよね。
それなりに気に入ってるんだけどね。
とにかくお爺さんにはさようならって言ってテントを出た。
お爺さんは僕にサツマイモを持たせようとしたけど、それは断ったんだ。
もって帰るわけにもいかないしさ。見つかったら怒られるだろうし。
たいてい小さい頃の価値基準って怒られるか怒られないかってところなんじゃないかな。
誰だって怒られないほうがいいからね。怒られるよりはさ。
でも従兄弟は違うんだ。怒られようがそうじゃなかろうが知ったこっちゃ無いって風なんだよね。
そういうところで僕と従兄弟は違うんだよ。根本的に。
さらに従兄弟はフランス語で会話ができるんだ。
僕はいまだに犬としか会話できない。まともにはね。
ところで、公園から家まで実に7回も角を曲がらなくちゃならないんだ。
5回目の角を曲がったときには靴の中までびしゃびしゃに濡れてしまった。
ハービーは別に平気だったと思うんだが。
実はね、このあたりからあとはよく覚えてないんだ。
5回目の角をまがったあたりからね。
その角をまっすぐ行くと神社があって神社の階段があって坂があって右手に駄菓子屋があるんだけど、その駄菓子屋さんの軒先で雨宿りしている間に僕は倒れたらしいんだ。
あまりの寒さにうずくまって、ハーベストを両手で抱えるように寄りかかったまま意識を失ってたのを駄菓子屋のおばちゃんが発見してくれた。
もちろん僕はそのことを覚えていたわけじゃなく、ずっと後でおばちゃん本人から聞いたんだ。
おばちゃんは楽しそうに「フランダースの犬」になぞらえて僕に話してくれた。
僕はもちろん楽しくなかったけどね。
倒れたその後の数日間は思い出したくないな、あまり。
熱が出て寝込んでどうしろうもなく苦しんだんだ。
意識があるときは始終咳が止まらなかった。
僕がこのことを書きたくない一番でっかい理由はあまりにも惨めだからだ。そのときの自分がね。
実際目が覚めるたびに惨めな気分になっていた。
傍目から見ても凄いうなされ方をしてたらしいんだけど、このあたりの記憶は自分では曖昧なんだよね。
昼なのか夜なのか何時間たったのかそれとも何日もたってしまったのかさっぱり分からないし、そんなことどうでもいいくらい咳が出たんだ。
それでも比較的症状が穏やかになってくると、僕は天井の木目を眺めながらいろんなあらゆることを考えた。
実にあらゆることなんだ。病人は暇だからね。
特に僕は病人としては優等生に値するくらい真面目におとなしくしてたから恐ろしく暇なんだよね。
でも暇なのが嫌なんじゃないよ。
僕はその気になればなんだっておもしろいことを編み出すことが可能なんだ。
寝ながら、しかも天井を眺めながらね。
しかし、覚醒しながら布団の中に居るのは、まるで木の枝にずっと坐っているようなものだよね。
あるいはいつ来るか分からない誰かをずっと待っているようなものだ。
僕は待っている間に、その誰かがいつか必ず来るものと信じていなければならない。ずっとね。
僕にとって信じることは実は簡単なことだったんだ。
ただ信じ続けることってのはとてつもなく難しい。
両者の違いをはっきり感じたのはもっともっと大きくなってからのことだ。
とにかく僕は布団の中で、ハービーが僕のことを心配していないことを祈った。
同時にハービーが数日間会わない間に僕のことをすっかり忘れてしまわないと信じ続けた。
あとはとにかく毎回食事に出てくるおかゆから逃れたい一心だったんだ。
僕はおかゆが苦手だったからね。その頃。
おかゆ以外にも雑炊とか炊き込みご飯とかも苦手だったんだけど、別に食べられないわけじゃないんだ。どれもね。
ただ毎日おかゆってのはうんざりだったんだよね。
君も毎日苦手なものが出てきたら逃げ出したくなるだろう?
でも子どもは逃げられないんだ。
逃げられないからわがまま言うしかないのさ。
ねえ、悪いんだけど、って僕は言った。
「おばさん、悪いんだけどね、おかゆって飽きちゃったんだ。だから普通のご飯じゃあ駄目かなあ。ほんとはね、普通のご飯も硬めに炊いたほうが好きなんだよね。今まで言わなかったけど。」
でね、硬めに炊いたほうのご飯ってのも普通のご飯ってのもだめだったけど(消化に悪いからね)、でも次の食事のとき叔母さんはうどんを茹でてくれた。
ずっとおかゆだったからとてつもなくおいしかったんだ。
僕はね、うどんは好きでも嫌いでもなかったんだ。あまりおいしいうどんを食べたことがなかったのかもしれない。それともうどんのおいしさを今まで僕は充分に理解しきれてなかったのかもしれない。
でもさ、もし今ここに教授が居て、爺さんのテントでナイフを好きなだけ触らせてもらった僕とハーベストの「話の続き」を読んだら、きっと「要らない」って言うと思うんだ。
要らないって言ったわけじゃないよ?実際は。
さっき「教授が要らないって言った」って書いちゃったけどね。
実際に僕に向かってどうこう言ったわけじゃないんだ。
ただね、僕が思うに、たぶん続きは要らないって言うと思うんだよね。教授は。
だけど残念ながら僕とハーベストの話には続きがあるんだ。
たとえばね、ジョンアービングが『熊を放つ』って本書いてるんだけど、あれ最後の部分はきっと要らないんだ。ノートの内容の部分ね、うまく文章に入りきらなかったんだよきっと。
でもね、それでも書いてるんだ、彼は。
誰か有名な人が「ハックルベリーフィンの冒険は後半部分いらない」って言ったって聞いたけど、
あれは正確には、「どこそこより後は読むべきじゃない」って言ったんだよね。たしか。
つまりね、熊を放つにしろハックルベリーフィンの冒険にしろ書いちゃったものは書いちゃったんだよ。
それで書いちゃったものってのは、もともと初めから書くべきものだったんだよね、きっと。
それでそれを読んだ人から「後半はいらない」って言われるべきものなんだよきっと。
ここから後は読むなとかいらないとかなんとかかんとかそういうことを言われるべきものなんだと思うんだ。
いらないっていうことはさ、イコール書くべきじゃなかったってことにはならないと思うんだよね、きっと。
ところでポールセローの短編って、要らない部分は初めから書いてないんだよね。
3.話の続き
結局いつまでたっても雨はやまないんだ。
仕方ないから僕とハービーは公園から家まで走って帰ることにした。
コートを着てこなかったことを後悔すべきかどうかは微妙は問題なんだ。
コートが無い所為であまりにも寒いし冷たいし辛いし凍えそうなんだけど、でももしコートを着てたら雨でどんどん重くなって走りにくいんだ。たぶん。
僕の持ってるコートってもともと結構重いんだよね。
それなりに気に入ってるんだけどね。
とにかくお爺さんにはさようならって言ってテントを出た。
お爺さんは僕にサツマイモを持たせようとしたけど、それは断ったんだ。
もって帰るわけにもいかないしさ。見つかったら怒られるだろうし。
たいてい小さい頃の価値基準って怒られるか怒られないかってところなんじゃないかな。
誰だって怒られないほうがいいからね。怒られるよりはさ。
でも従兄弟は違うんだ。怒られようがそうじゃなかろうが知ったこっちゃ無いって風なんだよね。
そういうところで僕と従兄弟は違うんだよ。根本的に。
さらに従兄弟はフランス語で会話ができるんだ。
僕はいまだに犬としか会話できない。まともにはね。
ところで、公園から家まで実に7回も角を曲がらなくちゃならないんだ。
5回目の角を曲がったときには靴の中までびしゃびしゃに濡れてしまった。
ハービーは別に平気だったと思うんだが。
実はね、このあたりからあとはよく覚えてないんだ。
5回目の角をまがったあたりからね。
その角をまっすぐ行くと神社があって神社の階段があって坂があって右手に駄菓子屋があるんだけど、その駄菓子屋さんの軒先で雨宿りしている間に僕は倒れたらしいんだ。
あまりの寒さにうずくまって、ハーベストを両手で抱えるように寄りかかったまま意識を失ってたのを駄菓子屋のおばちゃんが発見してくれた。
もちろん僕はそのことを覚えていたわけじゃなく、ずっと後でおばちゃん本人から聞いたんだ。
おばちゃんは楽しそうに「フランダースの犬」になぞらえて僕に話してくれた。
僕はもちろん楽しくなかったけどね。
倒れたその後の数日間は思い出したくないな、あまり。
熱が出て寝込んでどうしろうもなく苦しんだんだ。
意識があるときは始終咳が止まらなかった。
僕がこのことを書きたくない一番でっかい理由はあまりにも惨めだからだ。そのときの自分がね。
実際目が覚めるたびに惨めな気分になっていた。
傍目から見ても凄いうなされ方をしてたらしいんだけど、このあたりの記憶は自分では曖昧なんだよね。
昼なのか夜なのか何時間たったのかそれとも何日もたってしまったのかさっぱり分からないし、そんなことどうでもいいくらい咳が出たんだ。
それでも比較的症状が穏やかになってくると、僕は天井の木目を眺めながらいろんなあらゆることを考えた。
実にあらゆることなんだ。病人は暇だからね。
特に僕は病人としては優等生に値するくらい真面目におとなしくしてたから恐ろしく暇なんだよね。
でも暇なのが嫌なんじゃないよ。
僕はその気になればなんだっておもしろいことを編み出すことが可能なんだ。
寝ながら、しかも天井を眺めながらね。
しかし、覚醒しながら布団の中に居るのは、まるで木の枝にずっと坐っているようなものだよね。
あるいはいつ来るか分からない誰かをずっと待っているようなものだ。
僕は待っている間に、その誰かがいつか必ず来るものと信じていなければならない。ずっとね。
僕にとって信じることは実は簡単なことだったんだ。
ただ信じ続けることってのはとてつもなく難しい。
両者の違いをはっきり感じたのはもっともっと大きくなってからのことだ。
とにかく僕は布団の中で、ハービーが僕のことを心配していないことを祈った。
同時にハービーが数日間会わない間に僕のことをすっかり忘れてしまわないと信じ続けた。
あとはとにかく毎回食事に出てくるおかゆから逃れたい一心だったんだ。
僕はおかゆが苦手だったからね。その頃。
おかゆ以外にも雑炊とか炊き込みご飯とかも苦手だったんだけど、別に食べられないわけじゃないんだ。どれもね。
ただ毎日おかゆってのはうんざりだったんだよね。
君も毎日苦手なものが出てきたら逃げ出したくなるだろう?
でも子どもは逃げられないんだ。
逃げられないからわがまま言うしかないのさ。
ねえ、悪いんだけど、って僕は言った。
「おばさん、悪いんだけどね、おかゆって飽きちゃったんだ。だから普通のご飯じゃあ駄目かなあ。ほんとはね、普通のご飯も硬めに炊いたほうが好きなんだよね。今まで言わなかったけど。」
でね、硬めに炊いたほうのご飯ってのも普通のご飯ってのもだめだったけど(消化に悪いからね)、でも次の食事のとき叔母さんはうどんを茹でてくれた。
ずっとおかゆだったからとてつもなくおいしかったんだ。
僕はね、うどんは好きでも嫌いでもなかったんだ。あまりおいしいうどんを食べたことがなかったのかもしれない。それともうどんのおいしさを今まで僕は充分に理解しきれてなかったのかもしれない。
文章作法の話
2004年2月14日 本当の犬の話をしようあるいは、いっそのこと僕が何もしゃべれなければいいんだよね。あるいは、たとえばさ僕が今ここに居なくて、テントの中がハービーと爺さんだけだったら、爺さんはハービーに名前を聞くだろうか。まあ聞くのだろう。そんな気がする。
それでもハービーは名前聞かれてさ、「俺はハーベストってんだ」なんて下らない台詞は吐かないって思うんだ。もっと気の利いたこというに決まってるだろ?ワンにしろガルルルにしろウウウにしろさ。
そのとき僕に足りなかったのはそういうことさ。
つまり必要なときに必要なものが無いっていうのは想像力が足りないってことなんだ。
僕はちょっと考えれば、言葉をしゃべれない人間にだってなれたはずなんだよ。
ただし、ナイフに関して言えばとても自分を抑えられなかったし、お爺さんに「これ触ってもいい?」って聞いたし実際に触った。
爺さんは僕に好きなだけナイフを触らせたし、ハービーの奴も好きなだけ水滴を撒き散らしたし、これだからテントって最高なんだよね。
僕の話はこれだけなんだ。
ただ爺さんのテントでナイフを好きなだけ触らせてもらったってことだけさ。
これで終わりなんだ。
文章作法の先生がこれで終われって言ったからね。
2.文章作法の話
大学1年のときに文章作法という講義があった。
これは演習と講義がくっついたような授業なんだ。
名前は忘れたけど素敵な教授だった。
なんたって凄い文章書くんだ。ひとつしか読んでないけど。
寺山修二の引用が入ってる文章だった気がする。
それにね、とっても人間的なんだよ。友達になれそうな感じがするんだ。
毎週講義があって学生に何か文章を書かせるんだけど、ある週にある学生が心無い文章を書いたんだ。つまりね、先生を批判するようなことを書いたわけさ。
そしたら次の週に先生が泣きそうになってるんだよ。講義どころじゃないのさ。
きっとその文章についてああでもないこうでもないって一週間考えたんだ、彼は。
つまりひとりの学生のひとつの文章に真剣に傷つくことにしたんだ。真正面からね。
そういう教授だったから友達になれそうって思ったんだ。
でもそんなことがあって、僕はその次から最後までの講義は欠席した。
だってね、もう僕には何も書くべきものが無くなったんだよ。教授にたいしてね。
もう何一つ書けなくなったんだ。
僕がこの講義を気に入った理由がもうひとつあるんだが、それは初めの授業で起こった。
「自分とは何か」っていうテーマを出されて10分くらいで全員文章を書かされたんだけど、僕の文章が真っ先に採用されたんだ。
どういうことかっていうと、この講義にはまず200人以上の学生が集まるんだ。
一番でっかい教室に入りきれないくらいにね。
文学部の講義の中で、一番人気があるんだよ、きっと。
初めての講義のときに教授が驚いたんだ。教室に入りきれないくらいのあまりに多い人数にね。それで、キャンパス内で一番でっかい教室にみんなでぞろぞろ移動したわけさ。
それでなんとか全員教室に入りきれたんだ。
それから僕らは「自分とは何か」って題で好きなように書けって言われた。
確か10分くらいで400字前後くらいの文章を書いたかな、みんな。
それを教授が集める。200人分を。
次の週の講義までに教授が全部読んで、秀作を抜粋してタイプに打って一枚のプリントを作って、次の講義のテキストにするんだ。
ものすごく大変な作業なんだよ。誰も教授を批判するべきじゃないんだ、ほんとに。
それで、次の週になって配られたプリントを見てみると僕の書いた文章がそこにあったんだ。うれしいよね。
それで僕の書いた文章で講義が進むわけなんだ。200人のね。
良かったらそのとき僕が書いた文を読んでみてほしい。
『自分とは何か』
自分について語るというのは、自分にとって身を削るという意味では、非常に辛いところである。
これが自己紹介のように誰か相手が明確に居て、目的があって語り掛けるという場合には、その目的に即した都合の良い点を答えたり、または、自分を装ってみたりということが出来るのであるが、
または全く自分自身のために文章を書く、自分を見なおし、見つめるための文章であれば、それが日記のようなものであれば、内面を掘り下げていくのに身を削る思いなどしないはずである。
しかし、全く書けないわけではなく、別に「正直な自分」「自分に正直に書く」必要はないわけで、創作であれば、どんな風にでも書くことはできる。
それを「正直」と偽らない限り、騙すことにはならないわけであるし、全くの創作に対しても、読み手に自分が伝わることがある。
読み手の「あなたは何者か?」という姿勢が必要とされるが、たとえば、小説を読んで小説家を知るということがある。
もしかすると、小説にこそ、小説家の本当の姿、内面が読み取れるのかもしれない、と私は考えている。
よって、「私は何者か?」についての命題には正直に作り話を始めたいと思う。
私は木の上にずっと坐っていたのだが、別に木ではないし、木になろうとしてもなかなかなれなかったものである。
木そのものでないというのは非常に辛いもので、いつもいつも木の枝に(坐っている木の枝に)自分が負担をかけているように思っていたのだが、そうかといって、自分から動こうとも自分が木の上に立ったら、枝が折れてしまうんじゃないかと考え、自分が飛び降りたら、今度は自分が折れてしまうんじゃないかと考え、なかなか動けないで、始終同じことを考えていたように思う。
始めは木のことを考え、地面のことを考え、空のことを考え、結局自分のことを考えた。
あるとき、夜の女王がふとしたひょうしに息を吹きかけると私はこのキャンパスに居ることに気づいた。以上です。
この文章をみんなの前で読まれたとき僕は真っ赤になっていたんだ。
文章ってのはみんなの前で読むものじゃないよね。
少なくとも僕の書いたものはみんなの前で読むようなものじゃないんだ。
たとえば宮沢賢治がみんなの前で『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を読まれたらきっと同じように真っ赤になったはずだよ。僕はこの話が好きだけど、ちゃんとひとりでこっそり読んでるんだ。
でも、宮沢賢治ってみんなの前で読んでも大丈夫な奴も一杯書いて持ってるんだ。『注文の多い料理店』とか『やまなし』とかさ。ずるいよね。そういうところがさ。
それで、教授は僕の文章について一言だけ褒めてくれた。なんていってたかは内緒だけどね。
そのあと、みんなにも分かるように僕の文章を噛み砕いて説明したんだ。
なんせ僕の文章ときたら分かりにくくて有名だからさ。まず誤字が多いんだ。
塾で国語を教えてたくせにね。
それから、木の上に坐っていた話について「禅のよーな話だ」って言ったんだ。(これ教授の感想だよね。)
そして「これだけでも良かったんだけどね」って言った。
つまり、禅のよーな話の部分だけでも良かったんだけどね。って意味なんだよ。
前半はいらないっていうんだ。
いいかい?「自分とは何か」ってテーマを出されて僕が身を削る思いをした、って部分はいらないっていうんだ。
うん、そのときはなるほどって思ったんだけどね。いらないかもって。
たとえばさ、『スラムダンク』って漫画あるじゃない。
ある試合中ゴリが不調のとき、ボス猿がいきなりコートに来て大根と包丁を取り出してカツラ剥きをやり始める。
そこでなんの説明もしないんだ、彼は。
漫画的には仙道なんかがカツラ剥きの意味を説明してるけどね。
本人はなんにもいわないんだよ。全くね。
つまりね、「…
それでもハービーは名前聞かれてさ、「俺はハーベストってんだ」なんて下らない台詞は吐かないって思うんだ。もっと気の利いたこというに決まってるだろ?ワンにしろガルルルにしろウウウにしろさ。
そのとき僕に足りなかったのはそういうことさ。
つまり必要なときに必要なものが無いっていうのは想像力が足りないってことなんだ。
僕はちょっと考えれば、言葉をしゃべれない人間にだってなれたはずなんだよ。
ただし、ナイフに関して言えばとても自分を抑えられなかったし、お爺さんに「これ触ってもいい?」って聞いたし実際に触った。
爺さんは僕に好きなだけナイフを触らせたし、ハービーの奴も好きなだけ水滴を撒き散らしたし、これだからテントって最高なんだよね。
僕の話はこれだけなんだ。
ただ爺さんのテントでナイフを好きなだけ触らせてもらったってことだけさ。
これで終わりなんだ。
文章作法の先生がこれで終われって言ったからね。
2.文章作法の話
大学1年のときに文章作法という講義があった。
これは演習と講義がくっついたような授業なんだ。
名前は忘れたけど素敵な教授だった。
なんたって凄い文章書くんだ。ひとつしか読んでないけど。
寺山修二の引用が入ってる文章だった気がする。
それにね、とっても人間的なんだよ。友達になれそうな感じがするんだ。
毎週講義があって学生に何か文章を書かせるんだけど、ある週にある学生が心無い文章を書いたんだ。つまりね、先生を批判するようなことを書いたわけさ。
そしたら次の週に先生が泣きそうになってるんだよ。講義どころじゃないのさ。
きっとその文章についてああでもないこうでもないって一週間考えたんだ、彼は。
つまりひとりの学生のひとつの文章に真剣に傷つくことにしたんだ。真正面からね。
そういう教授だったから友達になれそうって思ったんだ。
でもそんなことがあって、僕はその次から最後までの講義は欠席した。
だってね、もう僕には何も書くべきものが無くなったんだよ。教授にたいしてね。
もう何一つ書けなくなったんだ。
僕がこの講義を気に入った理由がもうひとつあるんだが、それは初めの授業で起こった。
「自分とは何か」っていうテーマを出されて10分くらいで全員文章を書かされたんだけど、僕の文章が真っ先に採用されたんだ。
どういうことかっていうと、この講義にはまず200人以上の学生が集まるんだ。
一番でっかい教室に入りきれないくらいにね。
文学部の講義の中で、一番人気があるんだよ、きっと。
初めての講義のときに教授が驚いたんだ。教室に入りきれないくらいのあまりに多い人数にね。それで、キャンパス内で一番でっかい教室にみんなでぞろぞろ移動したわけさ。
それでなんとか全員教室に入りきれたんだ。
それから僕らは「自分とは何か」って題で好きなように書けって言われた。
確か10分くらいで400字前後くらいの文章を書いたかな、みんな。
それを教授が集める。200人分を。
次の週の講義までに教授が全部読んで、秀作を抜粋してタイプに打って一枚のプリントを作って、次の講義のテキストにするんだ。
ものすごく大変な作業なんだよ。誰も教授を批判するべきじゃないんだ、ほんとに。
それで、次の週になって配られたプリントを見てみると僕の書いた文章がそこにあったんだ。うれしいよね。
それで僕の書いた文章で講義が進むわけなんだ。200人のね。
良かったらそのとき僕が書いた文を読んでみてほしい。
『自分とは何か』
自分について語るというのは、自分にとって身を削るという意味では、非常に辛いところである。
これが自己紹介のように誰か相手が明確に居て、目的があって語り掛けるという場合には、その目的に即した都合の良い点を答えたり、または、自分を装ってみたりということが出来るのであるが、
または全く自分自身のために文章を書く、自分を見なおし、見つめるための文章であれば、それが日記のようなものであれば、内面を掘り下げていくのに身を削る思いなどしないはずである。
しかし、全く書けないわけではなく、別に「正直な自分」「自分に正直に書く」必要はないわけで、創作であれば、どんな風にでも書くことはできる。
それを「正直」と偽らない限り、騙すことにはならないわけであるし、全くの創作に対しても、読み手に自分が伝わることがある。
読み手の「あなたは何者か?」という姿勢が必要とされるが、たとえば、小説を読んで小説家を知るということがある。
もしかすると、小説にこそ、小説家の本当の姿、内面が読み取れるのかもしれない、と私は考えている。
よって、「私は何者か?」についての命題には正直に作り話を始めたいと思う。
私は木の上にずっと坐っていたのだが、別に木ではないし、木になろうとしてもなかなかなれなかったものである。
木そのものでないというのは非常に辛いもので、いつもいつも木の枝に(坐っている木の枝に)自分が負担をかけているように思っていたのだが、そうかといって、自分から動こうとも自分が木の上に立ったら、枝が折れてしまうんじゃないかと考え、自分が飛び降りたら、今度は自分が折れてしまうんじゃないかと考え、なかなか動けないで、始終同じことを考えていたように思う。
始めは木のことを考え、地面のことを考え、空のことを考え、結局自分のことを考えた。
あるとき、夜の女王がふとしたひょうしに息を吹きかけると私はこのキャンパスに居ることに気づいた。以上です。
この文章をみんなの前で読まれたとき僕は真っ赤になっていたんだ。
文章ってのはみんなの前で読むものじゃないよね。
少なくとも僕の書いたものはみんなの前で読むようなものじゃないんだ。
たとえば宮沢賢治がみんなの前で『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を読まれたらきっと同じように真っ赤になったはずだよ。僕はこの話が好きだけど、ちゃんとひとりでこっそり読んでるんだ。
でも、宮沢賢治ってみんなの前で読んでも大丈夫な奴も一杯書いて持ってるんだ。『注文の多い料理店』とか『やまなし』とかさ。ずるいよね。そういうところがさ。
それで、教授は僕の文章について一言だけ褒めてくれた。なんていってたかは内緒だけどね。
そのあと、みんなにも分かるように僕の文章を噛み砕いて説明したんだ。
なんせ僕の文章ときたら分かりにくくて有名だからさ。まず誤字が多いんだ。
塾で国語を教えてたくせにね。
それから、木の上に坐っていた話について「禅のよーな話だ」って言ったんだ。(これ教授の感想だよね。)
そして「これだけでも良かったんだけどね」って言った。
つまり、禅のよーな話の部分だけでも良かったんだけどね。って意味なんだよ。
前半はいらないっていうんだ。
いいかい?「自分とは何か」ってテーマを出されて僕が身を削る思いをした、って部分はいらないっていうんだ。
うん、そのときはなるほどって思ったんだけどね。いらないかもって。
たとえばさ、『スラムダンク』って漫画あるじゃない。
ある試合中ゴリが不調のとき、ボス猿がいきなりコートに来て大根と包丁を取り出してカツラ剥きをやり始める。
そこでなんの説明もしないんだ、彼は。
漫画的には仙道なんかがカツラ剥きの意味を説明してるけどね。
本人はなんにもいわないんだよ。全くね。
つまりね、「…
うまそうなジャガイモ!
2004年2月13日 本当の犬の話をしようで、そのときおかしなことが起こった。僕とハービーがイモを食ってるときにさ。
雨が降ってきたんだ。
最初は晴れてたんだと思うんだ、家出るときはね。だってすごうく寒かったし。
あのね、冬はね、晴れてる日の朝のほうが冷え込むんだ。曇ったり雨降ったりしたときよりも。そうじゃないかい?
でもとにかく二人と一匹でホカホカのイモ食ってる間に雨が凄い勢いで落ちてきたんだから、それは確かに覚えているんだから、それだけは確かなんだ。実際に濡れたしね。
急いでニレの木の下に避難した。
僕は持てるだけイモを持っていったな。
ハービーは雨なんかお構いなしって顔してたけど、リードを引っ張ればちゃんとついてくるんだ。
頭いいよな、ほんと。
爺さんと僕とハービーはだんだん濡れて黒くなっていく公園の地面をしばらく眺めていた。
その光景は今でもはっきり覚えているよ。土の上に雨の落ちた点がどんどん多くなっていくのを見てるのって結構好きなんだ。全然退屈しないのさ。
それに、雨はすぐやむと思ったんだ。特に理由はないけど。
けれども雨は止まないし、だんだんニレの木の下も怪しくなってきた。
葉っぱからポタポタと垂れてきたんだ、雨の溜まったのが。
冬の雨って冷たいよね。冷たいで済めばいいんだろうけど、恐ろしいよ。生死に関わる冷たさなんだ。
心底不安になるんだよね。もしひとりぼっちだったらたぶん叫びだしてただろうな。
そのとき、ハーベストは傍らに居たんだけど、気がつくとあのお爺さんがどっかに行っちゃってた。
こういうのって本当に心臓に悪いんだ。雨が冷たすぎるときに、誰かに置いてかれるのってね。
ハービーが居なかったら確実に叫びだしてたさ。
実際はハービーが隣に居ても泣きそうだったんだけどね。
実はね、僕は爺さんとしゃべったりしたことなかったんだ、今まで。
というよりちょっと怖かったんだ。僕もちっちゃかったからね。
それより何より、従兄弟の叔母さんに言われていたしね。しゃべっちゃだめだって。
あの人に近づいてはだめ、って言ったんだ。叔母さんが。
今でもその言葉は覚えてる。
でもさ、冷たい雨の塊が氷の針みたいにそこかしこから攻めてきたら君だってそんなこと忘れちまうはずだよね。特に叔母さんの忠告とかをね。
とにかく、お爺さんが居なくなって僕は不安になってしまった。
僕はだめなんだ、こういうのが。
それでリードをぎゅっと握っているんだ。この世で唯一のリードだからね。僕にとって唯一のリードなんだ。
それから、
ハーベストは頭がいいんだ。
って思った。
ハーベストは頭がいい。
それだけ心の中で繰り返していた。僕はそれこそばかのひとつ覚えみたいに
ハーベストは頭がいい、
って呪文のように繰り返し繰り返し唱えていたんだ。
分かるかい?ハーベストは頭がいいし、誰がなんと言おうと僕と一番仲がいいんだよ。
他のどの家族よりもね。
だから、雨がしばらく止まなくたって大丈夫なんだ。
あのね、お爺さんは消えちゃったわけじゃなかった。
僕は消えちゃったって思ってたんだけどね。なんの疑いもなく。
なんというか、ほら、大人ってときどき消えちゃうじゃない?
大人が消えちゃって周りには子供ばかり居て、それでいつのまにか大人と呼べるものは笛吹き男だけになっちゃうんだよね。
笛吹き男が子どもたちを連れていくので。
それで街に子どもが居なくなって大人たちが慌てる。
慌てて子どもたちを捜す。
子どもたちはどこにも居ない。
だからね、知らない人としゃべっちゃだめなんだよ。
公園のお爺さんにも近づいちゃだめなんだよ。
と、従兄弟の叔母さんが僕に言ったんだ。
ところで、お爺さんはちゃんと公園に居て、テントの中から僕とハービーを手招きで呼んでいた。
それがテントだってすぐには分からなかったんだけどね。そこに行ってみるまで。
うまく葉っぱや枝で隠されていたからね。
公園にはニレの木の他にもいろいろあるんだ。砂場だとかアスレチックジムだとか池だとか植え込みだとかね。
それで植え込みの中にお爺さんのテントがあったんだ。
お爺さんはそりゃなんだって作っちゃうんだ。自分ひとりでさ。
それに僕ときたら、そのとき秘密基地がほしくてたまらなかったんだよね。
自分だけの秘密基地を河原で作ろうとして失敗してたんだ。夏に。
だってさ、川って雨が続くと増水するんだ。
それで何もかも流されちゃったけどね。
悔しいというより、恐ろしかったな。やっぱり。
ほら君も川が怖いっていってたよね。
まあそんなんだったから、そのテントを見てすぐにお爺さんに感銘を受けたってことだ。
しかもテントには何でもあったんだ。何でもさ!
誓ってもいいけど僕はお爺さんから何か拝借したりはしてないよ?
でも、あるいはそんな気を起こさせるくらいのものは充分に揃っていたんだ。
たとえばナイフとかね。
ハービーはテントの入り口まで来てぶるぶるっっと体を震わせていたから、水滴がどうしようもなくその辺に散らばっちゃったんだけど、爺さんは何も言わなかった。僕の意識はナイフに釘付けだったし、シートの上が水浸しになったのがハービーの仕業だってことはもっと後で気づいたんだ。
ハービーにシャワーを浴びせる役目はいつも従兄弟だったんだ。従兄弟がハービーにシャンプーもするしブラッシングもするんだ。
でも風呂場から上がったあと、従兄弟はそのまま野放しにするからハービーはあちこち水浸しにしちゃうんだよ。ソファーとかね。
で、叔母さんがカンカンに怒るわけだ。まあ怒っても従兄弟は気にしないんだけどさ。
だからいつのまにかハービーをシャワーに入れる役目は僕になったし、ちゃんとドライヤーまでかけてやるんだ。
テントの中には何でもあるんだって言ったけど、ドライヤーはないんだ。だからハービーの毛を乾かすことはできなかったんだよ。
もともと乾かす必要はなかったんだけどね。
なぜならここにはカンカンに怒る叔母さんは居ないし、ソファーも無いからさ。
ドライヤーはきっと必要ないんだ。
でもナイフはとっても必要なんだよね。
ナイフさえあれば、僕はお爺さんほどまでとはいかないかもしれないけど、もっとちゃんとした秘密基地を作ることができたんだと思う。
ナイフさえ手に入ればね。
でもナイフってのは子どもにとってなかなか手に入るものじゃないんだ。
スタンドバイミーだと、ピストルまで簡単に手にはいるのにさ。ちょっとずるいだろ?
スティーブンキングにかかれば何だって手に入るんだ。必要なときに必要なものがね。
僕がスタンドバイミーの中で実際に真似できたのは線路の上を歩くことくらいさ。
OK、つまりハービーは体の水滴をまき散らすのに夢中だったし、僕はナイフに見とれていたさ。
そんとき爺さんは僕に名前を聞いたんだ。ハービーのね。
つまりね、「その犬はなんていう名前なんだ?」って聞いたわけだ。
それでさ、その後どうなったかは君にも想像できるだろうよ。
僕が「ハーベスト(っていう名前なんだ)」って答えて、爺さんが「ハーベスト(!)」ってハーベストを呼んで、だけどハーベストは振り向きもしないわけさ。家族の誰もハーベストなんて呼び方してないからね。
だから僕はこれこれこういう会話を交わしたなんていうことを事細かに書くなんて嫌なんだ。
爺さんに、犬の名前なんて聞かないでくれ、なんて言うのもナンセンスだし、とにかく、僕が犬の名前を聞かれて幻滅したのはそういうわけなんだよ。会話なんてのはトルストイにでも任せとけばいいのさ。
あるい…
雨が降ってきたんだ。
最初は晴れてたんだと思うんだ、家出るときはね。だってすごうく寒かったし。
あのね、冬はね、晴れてる日の朝のほうが冷え込むんだ。曇ったり雨降ったりしたときよりも。そうじゃないかい?
でもとにかく二人と一匹でホカホカのイモ食ってる間に雨が凄い勢いで落ちてきたんだから、それは確かに覚えているんだから、それだけは確かなんだ。実際に濡れたしね。
急いでニレの木の下に避難した。
僕は持てるだけイモを持っていったな。
ハービーは雨なんかお構いなしって顔してたけど、リードを引っ張ればちゃんとついてくるんだ。
頭いいよな、ほんと。
爺さんと僕とハービーはだんだん濡れて黒くなっていく公園の地面をしばらく眺めていた。
その光景は今でもはっきり覚えているよ。土の上に雨の落ちた点がどんどん多くなっていくのを見てるのって結構好きなんだ。全然退屈しないのさ。
それに、雨はすぐやむと思ったんだ。特に理由はないけど。
けれども雨は止まないし、だんだんニレの木の下も怪しくなってきた。
葉っぱからポタポタと垂れてきたんだ、雨の溜まったのが。
冬の雨って冷たいよね。冷たいで済めばいいんだろうけど、恐ろしいよ。生死に関わる冷たさなんだ。
心底不安になるんだよね。もしひとりぼっちだったらたぶん叫びだしてただろうな。
そのとき、ハーベストは傍らに居たんだけど、気がつくとあのお爺さんがどっかに行っちゃってた。
こういうのって本当に心臓に悪いんだ。雨が冷たすぎるときに、誰かに置いてかれるのってね。
ハービーが居なかったら確実に叫びだしてたさ。
実際はハービーが隣に居ても泣きそうだったんだけどね。
実はね、僕は爺さんとしゃべったりしたことなかったんだ、今まで。
というよりちょっと怖かったんだ。僕もちっちゃかったからね。
それより何より、従兄弟の叔母さんに言われていたしね。しゃべっちゃだめだって。
あの人に近づいてはだめ、って言ったんだ。叔母さんが。
今でもその言葉は覚えてる。
でもさ、冷たい雨の塊が氷の針みたいにそこかしこから攻めてきたら君だってそんなこと忘れちまうはずだよね。特に叔母さんの忠告とかをね。
とにかく、お爺さんが居なくなって僕は不安になってしまった。
僕はだめなんだ、こういうのが。
それでリードをぎゅっと握っているんだ。この世で唯一のリードだからね。僕にとって唯一のリードなんだ。
それから、
ハーベストは頭がいいんだ。
って思った。
ハーベストは頭がいい。
それだけ心の中で繰り返していた。僕はそれこそばかのひとつ覚えみたいに
ハーベストは頭がいい、
って呪文のように繰り返し繰り返し唱えていたんだ。
分かるかい?ハーベストは頭がいいし、誰がなんと言おうと僕と一番仲がいいんだよ。
他のどの家族よりもね。
だから、雨がしばらく止まなくたって大丈夫なんだ。
あのね、お爺さんは消えちゃったわけじゃなかった。
僕は消えちゃったって思ってたんだけどね。なんの疑いもなく。
なんというか、ほら、大人ってときどき消えちゃうじゃない?
大人が消えちゃって周りには子供ばかり居て、それでいつのまにか大人と呼べるものは笛吹き男だけになっちゃうんだよね。
笛吹き男が子どもたちを連れていくので。
それで街に子どもが居なくなって大人たちが慌てる。
慌てて子どもたちを捜す。
子どもたちはどこにも居ない。
だからね、知らない人としゃべっちゃだめなんだよ。
公園のお爺さんにも近づいちゃだめなんだよ。
と、従兄弟の叔母さんが僕に言ったんだ。
ところで、お爺さんはちゃんと公園に居て、テントの中から僕とハービーを手招きで呼んでいた。
それがテントだってすぐには分からなかったんだけどね。そこに行ってみるまで。
うまく葉っぱや枝で隠されていたからね。
公園にはニレの木の他にもいろいろあるんだ。砂場だとかアスレチックジムだとか池だとか植え込みだとかね。
それで植え込みの中にお爺さんのテントがあったんだ。
お爺さんはそりゃなんだって作っちゃうんだ。自分ひとりでさ。
それに僕ときたら、そのとき秘密基地がほしくてたまらなかったんだよね。
自分だけの秘密基地を河原で作ろうとして失敗してたんだ。夏に。
だってさ、川って雨が続くと増水するんだ。
それで何もかも流されちゃったけどね。
悔しいというより、恐ろしかったな。やっぱり。
ほら君も川が怖いっていってたよね。
まあそんなんだったから、そのテントを見てすぐにお爺さんに感銘を受けたってことだ。
しかもテントには何でもあったんだ。何でもさ!
誓ってもいいけど僕はお爺さんから何か拝借したりはしてないよ?
でも、あるいはそんな気を起こさせるくらいのものは充分に揃っていたんだ。
たとえばナイフとかね。
ハービーはテントの入り口まで来てぶるぶるっっと体を震わせていたから、水滴がどうしようもなくその辺に散らばっちゃったんだけど、爺さんは何も言わなかった。僕の意識はナイフに釘付けだったし、シートの上が水浸しになったのがハービーの仕業だってことはもっと後で気づいたんだ。
ハービーにシャワーを浴びせる役目はいつも従兄弟だったんだ。従兄弟がハービーにシャンプーもするしブラッシングもするんだ。
でも風呂場から上がったあと、従兄弟はそのまま野放しにするからハービーはあちこち水浸しにしちゃうんだよ。ソファーとかね。
で、叔母さんがカンカンに怒るわけだ。まあ怒っても従兄弟は気にしないんだけどさ。
だからいつのまにかハービーをシャワーに入れる役目は僕になったし、ちゃんとドライヤーまでかけてやるんだ。
テントの中には何でもあるんだって言ったけど、ドライヤーはないんだ。だからハービーの毛を乾かすことはできなかったんだよ。
もともと乾かす必要はなかったんだけどね。
なぜならここにはカンカンに怒る叔母さんは居ないし、ソファーも無いからさ。
ドライヤーはきっと必要ないんだ。
でもナイフはとっても必要なんだよね。
ナイフさえあれば、僕はお爺さんほどまでとはいかないかもしれないけど、もっとちゃんとした秘密基地を作ることができたんだと思う。
ナイフさえ手に入ればね。
でもナイフってのは子どもにとってなかなか手に入るものじゃないんだ。
スタンドバイミーだと、ピストルまで簡単に手にはいるのにさ。ちょっとずるいだろ?
スティーブンキングにかかれば何だって手に入るんだ。必要なときに必要なものがね。
僕がスタンドバイミーの中で実際に真似できたのは線路の上を歩くことくらいさ。
OK、つまりハービーは体の水滴をまき散らすのに夢中だったし、僕はナイフに見とれていたさ。
そんとき爺さんは僕に名前を聞いたんだ。ハービーのね。
つまりね、「その犬はなんていう名前なんだ?」って聞いたわけだ。
それでさ、その後どうなったかは君にも想像できるだろうよ。
僕が「ハーベスト(っていう名前なんだ)」って答えて、爺さんが「ハーベスト(!)」ってハーベストを呼んで、だけどハーベストは振り向きもしないわけさ。家族の誰もハーベストなんて呼び方してないからね。
だから僕はこれこれこういう会話を交わしたなんていうことを事細かに書くなんて嫌なんだ。
爺さんに、犬の名前なんて聞かないでくれ、なんて言うのもナンセンスだし、とにかく、僕が犬の名前を聞かれて幻滅したのはそういうわけなんだよ。会話なんてのはトルストイにでも任せとけばいいのさ。
あるい…
いいかい?
2004年2月12日 本当の犬の話をしよういいかい?よく聞いてくれ。
僕には書きたいことがある。
とっても書きたいことがあるんだ。
これをぜひ君によんでほしい。
僕の大好きな君にぜひ読んで欲しいんだ。
ただ読むだけで良いんだ。
ただ、読んで、読み終わって、
それから好きなだけ紅茶を飲むとか、犬と散歩に行くとかしてくれればいい。
そう、犬の散歩の話なんだ。
11月のある晴れた朝を思い出して欲しい。
こういう書き出しだとまるでカポーティーみたいだが、カポーティーならカポーティーでいいさ。
僕はカポーティーが好きだし、小説はすでにそこにあるものだろ?
なにも僕が何か書かなくっても、この世界には既に小説があるんだ。
それを読めばいい。保坂和志って小説家もそう言っている。
でも僕にはとても書きたいことがあるんだよ。
これは君に読んで欲しいし、何より僕が書いたものは僕そのものなんだ。
とにかく、11月のある晴れた朝を思い浮かべてほしい。
そのとき僕が飼っていた犬はハーベストっていうんだ。
そういえば君はウナギという犬を飼っていたね。
ウナギ!って呼ぶとまっすぐ駆けてきたよね。
一週間くらいウナギに会わなかったらとっても大きくなっていてびっくりしたことを今でも覚えているよ。
ハーベストはもともと大きい犬なんだ。
ポインターだからね。猟犬なんだ。
でもそこで誰かがハーベスト!って呼んでも駆けてはこないのさ。残念だけど。
いやね、別に頭が悪いわけじゃないんだ。
ただ、家族がハーベストを呼ぶとき、てんでバラバラなんだよ、呼び方が。
つまりね、僕なんか「ハービー」って呼んでたし、叔父さんは「おい」だし、従兄弟なんか指笛で呼ぶんだぜ?
なんでいきなり従兄弟が出てくるかっていうと、そう、そのとき僕は従兄弟のうちに居候だったんだよね。叔父さんってのは従兄弟のお父さんなんだけど、あまりしゃべったことなかったな。ちょっと怖かったんだよね、子どもながらに。だってそのとき僕ときたら、まだどうしようもないくらいちっこかったからね。
どうしようもないくらいちっこかったなんて書くとまるでサリンジャーみたいだというかもしれないけど、しょうがない、別に大げさに書いてるわけじゃないんだ。ただね、去年村上春樹って小説家がサリンジャーの翻訳本を出したんだ。きっとそういう影響ってあるんだよ、よくわからないけど。
とにかく。
とにかくハーベストと僕はどうしようもなく寒い中凍えながら公園まで行ったのさ。
朝だからね。コートは着てなかったけど、手袋とマフラーはしてたな。
ハービーの奴は別に寒そうじゃなかった。
走ってたしね。僕も走ってたけど、それはもう、油断すると足が攣りそうなくらい寒いんだからどうしようもないさ。
でもハービーとの散歩は最高だね。たとえレイモンドカーバーのサインと引き合いに出されたって、僕はハービーとの散歩を取るね。とにかく最高なんだ。
そりゃカーバーの本にカーバーのサインがあって、それを手に持ってるなんてどんなに素敵なことだろうって思うよ。僕は彼の本が好きだしね。
とにかく、ハービーと散歩するのは、そんじょそこらのなんやかやがいっぺんにふってきても足りないくらい素敵なんだ。
その日もね、最高に素敵なことがあったのさ。
まあ落ち着いて聞いてくれよ。
まず、教室二つ分くらいの小さな公園なんだ、そこは。
セントラルパークの5億分の1くらいかな。
もちろん、セントラルパークの正確な大きさなんて知らないし、ここだけの話、セントラルパークなんて行ったこともないんだ、実は。更にいうとアメリカにも行ったことがないんだ。
これは結構なコンプレックスなんだよね、アメリカに行ったことがないってことが。
だって僕はアメリカって大好きだからね。
ところでフランツカフカって実際にアメリカに行ったことがあるのだろうか。もし君が知っていたらぜひ教えてほしいな。
とにかくさ、僕とハーベストはその小さな公園に毎日行っていたんだ。
公園にはニレの木がある。
誰かがニレの木だって教えてくれたんだよ、昔。だからたぶんニレの木なんだ。
たとえそれが本当は間違いだったとしても、僕にとってはこれから先もあれはニレの木ってことなんだよ。
ニレの木の下にベンチがあって、そこにその日、おじいさんが座っていた。
だいたいじいさんってのはとんでもなく早起きなんだから、朝から寒い公園に座ってたって不思議じゃないんだ。
でもね、ハーベストは立ち止まってじっと見ていたのさ、じいさんを。
だから僕も同じように突っ立ってじいさんを見ていた。
じいさんは蒸かしたジャガイモを食ってた。
そのときハーベストが考えていることはよおく分かるんだ。こいつはなんたって犬だからね。
僕がうまそうなジャガイモ!って思う以上に、うまそうなジャガイモ!って思っていることは確かなんだ。犬だからね。
ああ、犬は僕らより目が悪いし、あれがジャガイモだって分からなかったかもしれないし、まあ正確にはうまそうな食べ物!って思ったんだろうけど、でもね、目は悪いかもしれないけど頭はそんなに悪くないんだ。それは前にも言ったよね。
だから僕の手からリードを振り切って一目散にじいさんのところに突進するなんてことはしないわけさ。ちゃんとしつけられているんだ。
じいさんは僕らに対して手招きしようとしたと思うんだが、たぶんそれはあまり良い考えじゃないと思ってやめたんだと思う。なぜって、ハーベストときたら当時の僕とほとんどかわらない背丈なんだ。
犬の場合も背丈っていうのかどうかは知らないけど、とにかくハービーと僕は頭の位置がほぼ一緒ってことさ。
つまりね、そんなちっちゃな奴がそんなでっかい犬を連れてるなんてどう見ても不自然なんだよね。
じいさんにはハービーがどこまで頭のいい奴かなんて、ちょっと見ただけじゃわかんないさ、もちろん。
だけど、僕らを手招きする代わりに爺さんは公園の中央の落ち葉の塊を指さした。
顔は笑ってなかったけど、どちらかというと好意的なしぐさに見えたね、僕には。
ほら、顔中髭だらけのじいさんってあんまり表情変えないんだ。笑うときは豪快だけどさ。
とにかく落ち葉の塊ってのは焚き火の跡だった。
もっというと、その落ち葉ってのは爺さんが掃き集めた落ち葉なのさ。
なんで知ってるかっていうと、もちろん僕もハーベストも毎朝のように来てるからね。
ここには。
暑い日も今日みたいに凍える日も、おじいさんがほうきで掃いたりゴミ拾ったりしてるわけさ。
だから、この公園はあのじいさんのものなんだ。誰がなんと言おうとね。
ハーベストは焚き火の跡から真っ先にジャガイモを掘りだした。
そんで僕もあとから全部掘り出した。ジャガイモのほかにサツマイモもあったな。
ジャガイモはホイルの中にくるんであってバターがひとかえけら入っているからバター焼きになっているんだ、ちゃんと。
僕はそれをひとつもらった。
さっき爺さんがジャガイモの「蒸かしたの」食べてたって書いたけど、正確にはバター焼きなんだね。
いや、正確にはバター焼きと言わないかもしれない。君がもし正確な料理名を知っていたらぜひ教えてほしいな。
で、ハービーはホイルを器用に破ってわき目もふらずに食ってたんだ。これを従兄弟の家族が見たら僕はすごおく怒られるんだろうけどね。
なぜって、ハービーは僕の犬だって前に書いたけど本当の本当は従兄弟の家族の犬なんだよ。だから勝手にモノを食べさせたら叱られるわけさ。でもね、ハービーと僕は一番仲がいいんだ。誰がなんといおうとね。
で、そのときおかしなことが起こっ…
僕には書きたいことがある。
とっても書きたいことがあるんだ。
これをぜひ君によんでほしい。
僕の大好きな君にぜひ読んで欲しいんだ。
ただ読むだけで良いんだ。
ただ、読んで、読み終わって、
それから好きなだけ紅茶を飲むとか、犬と散歩に行くとかしてくれればいい。
そう、犬の散歩の話なんだ。
11月のある晴れた朝を思い出して欲しい。
こういう書き出しだとまるでカポーティーみたいだが、カポーティーならカポーティーでいいさ。
僕はカポーティーが好きだし、小説はすでにそこにあるものだろ?
なにも僕が何か書かなくっても、この世界には既に小説があるんだ。
それを読めばいい。保坂和志って小説家もそう言っている。
でも僕にはとても書きたいことがあるんだよ。
これは君に読んで欲しいし、何より僕が書いたものは僕そのものなんだ。
とにかく、11月のある晴れた朝を思い浮かべてほしい。
そのとき僕が飼っていた犬はハーベストっていうんだ。
そういえば君はウナギという犬を飼っていたね。
ウナギ!って呼ぶとまっすぐ駆けてきたよね。
一週間くらいウナギに会わなかったらとっても大きくなっていてびっくりしたことを今でも覚えているよ。
ハーベストはもともと大きい犬なんだ。
ポインターだからね。猟犬なんだ。
でもそこで誰かがハーベスト!って呼んでも駆けてはこないのさ。残念だけど。
いやね、別に頭が悪いわけじゃないんだ。
ただ、家族がハーベストを呼ぶとき、てんでバラバラなんだよ、呼び方が。
つまりね、僕なんか「ハービー」って呼んでたし、叔父さんは「おい」だし、従兄弟なんか指笛で呼ぶんだぜ?
なんでいきなり従兄弟が出てくるかっていうと、そう、そのとき僕は従兄弟のうちに居候だったんだよね。叔父さんってのは従兄弟のお父さんなんだけど、あまりしゃべったことなかったな。ちょっと怖かったんだよね、子どもながらに。だってそのとき僕ときたら、まだどうしようもないくらいちっこかったからね。
どうしようもないくらいちっこかったなんて書くとまるでサリンジャーみたいだというかもしれないけど、しょうがない、別に大げさに書いてるわけじゃないんだ。ただね、去年村上春樹って小説家がサリンジャーの翻訳本を出したんだ。きっとそういう影響ってあるんだよ、よくわからないけど。
とにかく。
とにかくハーベストと僕はどうしようもなく寒い中凍えながら公園まで行ったのさ。
朝だからね。コートは着てなかったけど、手袋とマフラーはしてたな。
ハービーの奴は別に寒そうじゃなかった。
走ってたしね。僕も走ってたけど、それはもう、油断すると足が攣りそうなくらい寒いんだからどうしようもないさ。
でもハービーとの散歩は最高だね。たとえレイモンドカーバーのサインと引き合いに出されたって、僕はハービーとの散歩を取るね。とにかく最高なんだ。
そりゃカーバーの本にカーバーのサインがあって、それを手に持ってるなんてどんなに素敵なことだろうって思うよ。僕は彼の本が好きだしね。
とにかく、ハービーと散歩するのは、そんじょそこらのなんやかやがいっぺんにふってきても足りないくらい素敵なんだ。
その日もね、最高に素敵なことがあったのさ。
まあ落ち着いて聞いてくれよ。
まず、教室二つ分くらいの小さな公園なんだ、そこは。
セントラルパークの5億分の1くらいかな。
もちろん、セントラルパークの正確な大きさなんて知らないし、ここだけの話、セントラルパークなんて行ったこともないんだ、実は。更にいうとアメリカにも行ったことがないんだ。
これは結構なコンプレックスなんだよね、アメリカに行ったことがないってことが。
だって僕はアメリカって大好きだからね。
ところでフランツカフカって実際にアメリカに行ったことがあるのだろうか。もし君が知っていたらぜひ教えてほしいな。
とにかくさ、僕とハーベストはその小さな公園に毎日行っていたんだ。
公園にはニレの木がある。
誰かがニレの木だって教えてくれたんだよ、昔。だからたぶんニレの木なんだ。
たとえそれが本当は間違いだったとしても、僕にとってはこれから先もあれはニレの木ってことなんだよ。
ニレの木の下にベンチがあって、そこにその日、おじいさんが座っていた。
だいたいじいさんってのはとんでもなく早起きなんだから、朝から寒い公園に座ってたって不思議じゃないんだ。
でもね、ハーベストは立ち止まってじっと見ていたのさ、じいさんを。
だから僕も同じように突っ立ってじいさんを見ていた。
じいさんは蒸かしたジャガイモを食ってた。
そのときハーベストが考えていることはよおく分かるんだ。こいつはなんたって犬だからね。
僕がうまそうなジャガイモ!って思う以上に、うまそうなジャガイモ!って思っていることは確かなんだ。犬だからね。
ああ、犬は僕らより目が悪いし、あれがジャガイモだって分からなかったかもしれないし、まあ正確にはうまそうな食べ物!って思ったんだろうけど、でもね、目は悪いかもしれないけど頭はそんなに悪くないんだ。それは前にも言ったよね。
だから僕の手からリードを振り切って一目散にじいさんのところに突進するなんてことはしないわけさ。ちゃんとしつけられているんだ。
じいさんは僕らに対して手招きしようとしたと思うんだが、たぶんそれはあまり良い考えじゃないと思ってやめたんだと思う。なぜって、ハーベストときたら当時の僕とほとんどかわらない背丈なんだ。
犬の場合も背丈っていうのかどうかは知らないけど、とにかくハービーと僕は頭の位置がほぼ一緒ってことさ。
つまりね、そんなちっちゃな奴がそんなでっかい犬を連れてるなんてどう見ても不自然なんだよね。
じいさんにはハービーがどこまで頭のいい奴かなんて、ちょっと見ただけじゃわかんないさ、もちろん。
だけど、僕らを手招きする代わりに爺さんは公園の中央の落ち葉の塊を指さした。
顔は笑ってなかったけど、どちらかというと好意的なしぐさに見えたね、僕には。
ほら、顔中髭だらけのじいさんってあんまり表情変えないんだ。笑うときは豪快だけどさ。
とにかく落ち葉の塊ってのは焚き火の跡だった。
もっというと、その落ち葉ってのは爺さんが掃き集めた落ち葉なのさ。
なんで知ってるかっていうと、もちろん僕もハーベストも毎朝のように来てるからね。
ここには。
暑い日も今日みたいに凍える日も、おじいさんがほうきで掃いたりゴミ拾ったりしてるわけさ。
だから、この公園はあのじいさんのものなんだ。誰がなんと言おうとね。
ハーベストは焚き火の跡から真っ先にジャガイモを掘りだした。
そんで僕もあとから全部掘り出した。ジャガイモのほかにサツマイモもあったな。
ジャガイモはホイルの中にくるんであってバターがひとかえけら入っているからバター焼きになっているんだ、ちゃんと。
僕はそれをひとつもらった。
さっき爺さんがジャガイモの「蒸かしたの」食べてたって書いたけど、正確にはバター焼きなんだね。
いや、正確にはバター焼きと言わないかもしれない。君がもし正確な料理名を知っていたらぜひ教えてほしいな。
で、ハービーはホイルを器用に破ってわき目もふらずに食ってたんだ。これを従兄弟の家族が見たら僕はすごおく怒られるんだろうけどね。
なぜって、ハービーは僕の犬だって前に書いたけど本当の本当は従兄弟の家族の犬なんだよ。だから勝手にモノを食べさせたら叱られるわけさ。でもね、ハービーと僕は一番仲がいいんだ。誰がなんといおうとね。
で、そのときおかしなことが起こっ…