王の遺体がなくなったことについての続き
2009年5月28日 本当の犬の話をしよう コメント (1)僕と叔母さんが寒い中外に出ると、そこには伯父さんの白いクラウンがエンジンをかけたままだったんだ。
もう君にもおおかたの予想はついているとおり、ハービーが死んだことを僕に言う役目は伯父さんが荷ったわけさ。
伯父さんが前を向いたまま暗い道を運転しながら動物病院でのハービーの最期を伝え話している後ろで、むしろ叔母さんの方が僕の目をのぞきこんでいたんだ。
それで途中で耐えきれなくなって泣き出しちゃった。
僕が泣き出さなかったのは、かわりに叔母さんが泣いてくれたからなんかじゃない。
ハービーが死んだことをちゃんと受け止められなかったからでもない。
もちろんそれらもあるんだろうけど、僕にとっての問題はもっととっても重要なことだった。
君にはこの先うまく説明できるかわかんないけど、この話の最後の最後には、もしかすると君にだけは僕の気持ちが分かってくれるかもしれないと思ってるよ。
だから長い話になるかもしれないけど、誰がなんといおうとちゃんとこの話を続けることにしたんだ。
僕にとってのそのときの恐怖は、まずゆうくんに会ってなんて言えばいいのか分からなかったことだ。
ハービーはほんとのほんとはこの人たちの家族で、もっと言えば本当の本当は従兄弟のゆう君の家族なんだってことだ。
僕はどうしていいのか分からないまま深沢さんという動物病院までの10分くらいをただただシートの奥で固まっていた。
デニーズの看板とかガソリンスタンドの灯りとか流れていくものを一生懸命眺めていた。
真っ暗な夜に車に乗ってることなんかそれが初めてだったんだよ。だからデニーズの煌々とした店内と誰も居ない店の中、ガソリンスタンドにも全く人影が見当たらないコントラストと非日常がとっても恐ろしく見えたんだ。
恐ろしいわけのわからない映画を見ているようだった。
そんな異次元の車の中で、僕はゆう君が今どこに居るのか、できることならば家で寝ていてくれないかなと考えていた。
そんなことはないのは分かっていたんだけど、そう願わずには居れなかったし、伯父さんにも伯母さんにもゆう君が今どこに居るのかどうしても聞くことができなかった。
彼は病院の廊下に座ってたんだけどね。
伯父さんと叔母さんが僕を迎えに行っている数十分の間、彼はハービーと一緒にそこで待っていたわけだ。
そんでいつもの顔でこっちを見たよ。
今でもその表情とかしぐさとかをよく覚えている。
これがハービーが死んだ日の話。
もちろん病院がどういった場所でとか、伯父さん叔母さんが何を話したかは詳細に覚えてるよ。
だけど君に伝えたい重要なことはただ、ただハービーがそこに横たわっていて、僕はまだ立っているってことなんだ。
僕はその日以降長い間ゆう君を直視できなくなっていたし、
伯父さん叔母さんにも今まで以上に何も言えなくなってしまった。
次の月には僕は逃げるようにして親の元に引っ越ししていて、日本人学校で数年間過ごすことになったんだ。
もともと親も数年後日本に戻ることになっていたから、中学受験をして日本の生活がまた始まったんだけど、そのときは帰ってくることができて心底ほっとしたね。
だってその国では僕らが日本人だって嫌というほど思い知らされるわけだ。すぐに慣れたけどね。
慣れて気にならなくなっていたけど、日本に戻ってきたときに思い出したんだよ。
どの店にも普通に入っていいし、どの席にも躊躇なく座っていいんだし、周りがなんだか日本人一色だってね。
君はフォレストガンプって映画の中のガンプ少年のスクールバスでのシーンを思い出せるかい?
足の悪い彼が席に座ろうとするたびに、すでに座っている子どもが開いている自分の隣をふさぐんだ、ババッて感じですばやくね。
そんでしょうがないから足を引きずりながら反対側に行ってみるとそこでもババッて感じで塞がれるんだ、あからさまにね。
非常にわかりやすくはっきりとあからさまなんだ。
まあ、そんなことが僕に対しても起こったわけだ。はっきりとわかりやすく。
僕はいっそのこと足にギブスをつけた方がいいんじゃないかって思ったけれどそれはナンセンスだよね。
だってギブスなんかつけなくても顔に日本人って書いてあるんだ、とってもはっきりとね。
たとえば、そんなことを真剣に話しても笑わないで聞いてくれるのはそのとき太田さんだけだったんだ。
君には太田さんの話をしなかったけど、太田さんは僕の人生の中でもっとも重要な役割を果たしたひとりなんだ、まちがいなく。
向こうはそんなことは全く思ってないだろうけどね。
彼女はいい加減に聞き流していただけなのかもしれないけど、とにかく中学時代に感じたこと思ったことを正直に話したのは太田さんだけだった。
犬の話を除いてね。
4.太田さんの話
太田さんに犬の話をしなかったのは、彼女がその夏転校していったからなんだ。
それでそれまでのように何でも話したり喧嘩したりできなくなってしまった。
そうなってから始めて気づくんだよね、今まで何が重要だったのか。
僕がこういう風に居られるのは、どこに僕だけのリードがあるのかちゃんと気づいてないとだめなんだ、ほんとは。
それで必要なときにぎゅっとそのリードを握って離さないんだ。
君にもそういうことってあるかい?後になって気づくことがさ。
特にとっても重要なことを。
僕は今まではっきりいってそれの繰り返しなんだ。
まったく、自分で自分が嫌になるくらいにね。
太田さんがずっとあとの高校卒業近い年に気まぐれで年賀状くれたときに、そこにはっきり気づいたんだ。
僕の気まぐれも相当なものなんだけど、太田さんの主要な成分も気まぐれでできているんだ、きっとね。
で、その年賀状を見て中学のときにした喧嘩みたいなことや暇つぶしなんかを思い出したわけだ。
喧嘩といっても、彼女が自分の荷物を気にせずどかどかと僕の机の上に置くから僕が文句を言ったりとその程度だけど。
あとクラスの特定の女の子をみんながからかってることがあって、それに僕も便乗したから太田さんが怒ったりしたことをね。
でもあとあと考えてみると、ここまでいろいろ言いあえたり真剣な話ができたのは太田さんくらいしか居ないわけなんだよ。
男同士だと会話の9割が下ネタだったからね。
で、夕方のホームルームなんかで何かの委員を決めるとするじゃない。
立候補者が居ないとえんえんと話し合いが続いたりするんだ。
延々とみなの根競べなわけで、30分・・・1時間と貴重な時間が流れていくわけなんだ。そのあいだ何もすることないんだ。何も。ただだまっているしかないのさ。
誰かが根負けして(あるいは大事な用事のために)自らを犠牲にするまでずっと静かな戦いがあるわけだ。
そんなとき、教室の一番後ろの席で机の上に置いたカバンやコートの間に突っ伏したり隠れながら、僕と太田さんはさまざまな話をした。
彼女は小さくてガリガリだからきっと隠れるのは得意なんだ。
先生なんかに注意を受けたことなんて一度だって見たことがない。
けれど態度はでかかったと思うな。
何かと指をさされてズバズバ言われるのであとあと思い出しては腹がたってきたことがあったんだ。
そもそも初めて会ったときにもこっちを指して友達と冗談言って笑ってたんだから印象最悪なんだ。
僕がそんなに笑われるほど変だったかって?
もちろんそれは否定できないし君も分かってるだろう、だいたい。
ただし、こういう暇つぶししなければならない状況では最高の友達になれてたはずなんだ。
たいていは下らない話だったし、メモとペンを使って簡単なゲームしたり彼女がハイテンションで歌を歌ったりしていたこともあるんだけど、よく考えてみると太田さんがそのとき夢中になっていたダンスとか全く興味なかったし、歌ってる歌もまったくもってわからなかったんだ。
けれどお互い話がほとんど一方通行でも気兼ねしないで居られるって、ときには最高だよね?
生返事しか来ないの最初からわかってて話すのは楽だし、面倒になったら途中で話すのやめちゃってもいいんだ。
こういう相手って結構居るんじゃないかって思っていたけど、僕にとっては後にも先にも彼女だけなんだ。
けれど夏の間に彼女は転校して、彼女の席もなくなってしまった。
でもね、それはそれで良かったし、結構のびのびできた。
僕の机は占領されることもなくなったし、喧嘩して気を揉むこともなくなったし、とにかくすごく広々したんだ。
ただ、ある秋の日の午後に、窓からだいぶ柔らかくなってきた日差しが入ってきて、その日差しの角度と反射の所為でちょっとの間黒板が見えにくくなっていて、授業は数学か何かで、ミッチーか敏郎か誰かと先生でたぶん図形の公式で議論してて、そんなときに太田さんに話したいことを思い出したんだ。今この話を太田さんにならできると思った。
僕が飼っていた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
その話はもちろんハービーの話だったし、それから従兄弟の話でもあるんだ。
夏休み直前に従兄弟が僕を訪ねてきたからね。
5.従兄弟の話
そういえば君には姉妹が居ることは知っていたけど、従兄弟は居るのかい?
なんだかちょっと聞いたことあるような気がするけどそれが君の従兄弟の話だったかどうか自信がないな。
僕にとっての従兄弟はゆう君1人ではないけれど、同じ歳だし小さい頃から仲の良いのは彼だけなんだ。
他の従兄弟の中には親の葬儀のときに初めてまともに会話した人だっているくらいだ。まあ歳は10歳くらい離れているけどさ。
でも一言話しただけで、ああなんだか昔から知っててもおかしくないような気がすると思って、同じように向こうも思ったんだろうか少しの時間でいろいろくだけて話せるようになったんだよね。
でも、その歳の離れている従兄弟たちとは本当は自分が物心つく前のすごく小さいときに会ったことがあるらしいんだ。僕はよく覚えてないけど。
で、その葬儀のときあれを思い出したんだよね。
ほら源頼朝と義経が再会する話あるじゃない?
確か鎌倉で。
小さい頃一緒に母親と雪道を逃げだした深い絆があるはずの兄弟が、平家を倒すという同じ目的の中、直接会わないながらも戦いを続けてやっと会うんだ。確か鎌倉で。
結局そのあと悲しい話になるけれど、もしこれが従兄弟同士だったら違ってたんじゃないかと思うんだ。
きっと何もかもうまくいっていたはずだとそう思うんだ。
君はどう思う?
君にとっての従兄弟ってどういう存在なのかな。
僕とゆう君は結局何もかもうまくいったんだ。
再会したのは中学2年の夏休み直前だったから、本当に何年も経っていたんだ。
でもこれ一番楽しい時期だよね?中学2年でしかももうすぐ夏休みって日なんだから。
7月中旬で期末テストなんかを適当にこなせばあとは授業がどんどん短くなっていって、一番暑い日差しの中を遊びながら帰ってそのまま夏休みが始まるんだ。
そのときも半日で終わる日の最後の音楽の授業中で、とても怖くて恐れられていた先生が教壇に立っていたはずなんだけど、そんなことはもう全く気にならないくらいに夏休みが楽しみで仕方なかったんだよね。
僕らの音楽室は扇状に席が広がっていて同時に段差も付いていて一番後ろの席がもっとも高い位置にあるんだ。
黒板とかを見下ろすような形になっていて、その一番後ろの窓際の席で窓から入ってくる空気をほぼ一人占めしながらちょっと眠くなってきていたときだった。
窓の下はグラウンドが広がっていてその先には小学校が見えて斜め向いの道路を隔てた先には城跡とお堀が広がっている。
道は遠くからでも目一杯熱くなってるのがわかるんだ。
陽炎が立ち上ってゆらゆら揺れていたからね。
その陽炎越しに城の堀の中を静かにボートがやってきているのを見つけたんだ。
堀の中にその小さな薄い青色のボートが浮かんでいるのを僕はそのとき初めて見たし、ボートなんかじゃなくとも、カモや錦鯉や緑に淀んだ水と水草以外がお堀にあるのは初めて見たんだ。
ボートがエンジンを回転させるのは一瞬。すぐに切って惰性に任せるとただひとり乗っているおじさんは川底を長い棒でつつくように検査をしているようなのだ。
それからちょっとボートを止めるとカモとコイに餌を撒いてる姿が見えた。
あの人がカモに餌をやってたのか!って僕は本当に驚いた。
僕は長い間疑問に思ってたことが目の前で解かれていくことに夢中になっていたんだ。
退屈な授業がなかったら日常で窓の外の風景や空の雲とか見ることなんかまずないんだけど、君はどうだい?
最近君は風景に感動したことあるかな。
こういうカモに餌をやってるとこなんかも人に話してもなんにも面白がられないだろうけど、僕は興奮してそれでも誰かにしゃべりたくて結局太田さんをツツいて「あれ見てみ、餌やってる」って教えたんだ。
太田さんが今までに餌やりを目撃したことがあるかどうかはわからないけど、彼女がしばらく眩しそうに外を見てるうちに授業は終わっていた。
僕は窓から半分身を乗り出してボートの方をじっと見たんだ。
陽炎でゆらゆら揺れているし、堀の水が太陽を反射して眩しい。よおく見ておこうと思ってね。風はそんなに無くて窓の外の空気はとっても暑かった。
「夏休み中に転校するからあたし2学期はもう居ないよ」
と太田さんが言った。正確にはなんて言ったか覚えてないんだけど、なんかそんな脈絡のない会話だったんだ。
音楽室に残っているのはうちらのほかは若ちゃんと先生が何か話しているくらいだった。
「先生ー、カモに餌やってるの見えるよ」
僕は前の方に居る先生と若ちゃんにも怒鳴って教えてみた。
彼らは外の様子を見て少し何か言ったあと、また元の会話に戻ったようだ。たぶん期末テストの話かな。
「夏休み中?1学期終わりじゃなくて?」と僕は太田さんに聞いた。
「夏休みの部活に少し来て、8月途中で引っ越しする予定、たぶんね」
ああなるほどね、でも中途半端だね。
太田さんも離れたところで窓を全開にして、でも風が来ないので教科書かノートでパタパタあおっていたんだけど、
「あれ、誰か来る」とグラウンドを指差した。
それが従兄弟のゆう君だったんだ。
自分の目を疑うってきっとこういうことだよね。
彼は僕が初めて目にする私立の学校の制服を着て、あろうことかグラウンドを斜めに横切って歩いてきた。
けれどもそれは確かにゆう君だったんだ。
バスケ部って聞いてたけど確かに覚えている小学生のときからは背は格段に伸びていた。
誰かに見つかったら咎められるか絡まれるかするんじゃないかってくらいに場違いなんだけど、ここからでもゆう君が暑そうで一刻も早く日陰に入りたい、だからまっすぐ玄関に行きたいから他人の庭を横切ってきたっていうのがありあり分かるんだ。
僕はゆうううううううと大きい声で叫んで
彼がこっちを向くか向かないかのときには教室を飛び出すと、廊下を走り、一年にぶつかりそうになりながら階段を2段ぬかしで駆け下りて上履きのまま入口に降りた。
僕が息を整えている間、彼は暑いなーと言いながら笑っていた。
なんで?なにしに来たん?
「お前ら、まだ学校あるの?」
そっちは無いの?
「終業式が終わったから来てみた」とゆう君は言った。
彼は手ぶらでYシャツの裾をバサバサとさせて空気を入れると珍しそうに周りを見渡していた。
てかあれ、荷物は?1回家帰ったのか?
「ああー後で部活があるんだよね、まだ学校」
ふーん、とりあえずまだホームルームあるからさ、ちょっと待っててよ
ってどこかで待ってもらおうと思ったけど、結局うちのクラスの廊下まで来てもらった。
3年なんかにつかまるとまずいからね。
これが従兄弟と久しぶりに会った話。
彼はこのとき
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って僕を誘ったんだ。
君は中学生の夏休みは何してたかな?
友達同士でどっか行ったりしたかい?
ゆう君と僕はね、大府というところのおばあちゃんの家に泊まりに行くことにした。それから2人で名古屋に遊びに行くことにしたんだ。
もう君にもおおかたの予想はついているとおり、ハービーが死んだことを僕に言う役目は伯父さんが荷ったわけさ。
伯父さんが前を向いたまま暗い道を運転しながら動物病院でのハービーの最期を伝え話している後ろで、むしろ叔母さんの方が僕の目をのぞきこんでいたんだ。
それで途中で耐えきれなくなって泣き出しちゃった。
僕が泣き出さなかったのは、かわりに叔母さんが泣いてくれたからなんかじゃない。
ハービーが死んだことをちゃんと受け止められなかったからでもない。
もちろんそれらもあるんだろうけど、僕にとっての問題はもっととっても重要なことだった。
君にはこの先うまく説明できるかわかんないけど、この話の最後の最後には、もしかすると君にだけは僕の気持ちが分かってくれるかもしれないと思ってるよ。
だから長い話になるかもしれないけど、誰がなんといおうとちゃんとこの話を続けることにしたんだ。
僕にとってのそのときの恐怖は、まずゆうくんに会ってなんて言えばいいのか分からなかったことだ。
ハービーはほんとのほんとはこの人たちの家族で、もっと言えば本当の本当は従兄弟のゆう君の家族なんだってことだ。
僕はどうしていいのか分からないまま深沢さんという動物病院までの10分くらいをただただシートの奥で固まっていた。
デニーズの看板とかガソリンスタンドの灯りとか流れていくものを一生懸命眺めていた。
真っ暗な夜に車に乗ってることなんかそれが初めてだったんだよ。だからデニーズの煌々とした店内と誰も居ない店の中、ガソリンスタンドにも全く人影が見当たらないコントラストと非日常がとっても恐ろしく見えたんだ。
恐ろしいわけのわからない映画を見ているようだった。
そんな異次元の車の中で、僕はゆう君が今どこに居るのか、できることならば家で寝ていてくれないかなと考えていた。
そんなことはないのは分かっていたんだけど、そう願わずには居れなかったし、伯父さんにも伯母さんにもゆう君が今どこに居るのかどうしても聞くことができなかった。
彼は病院の廊下に座ってたんだけどね。
伯父さんと叔母さんが僕を迎えに行っている数十分の間、彼はハービーと一緒にそこで待っていたわけだ。
そんでいつもの顔でこっちを見たよ。
今でもその表情とかしぐさとかをよく覚えている。
これがハービーが死んだ日の話。
もちろん病院がどういった場所でとか、伯父さん叔母さんが何を話したかは詳細に覚えてるよ。
だけど君に伝えたい重要なことはただ、ただハービーがそこに横たわっていて、僕はまだ立っているってことなんだ。
僕はその日以降長い間ゆう君を直視できなくなっていたし、
伯父さん叔母さんにも今まで以上に何も言えなくなってしまった。
次の月には僕は逃げるようにして親の元に引っ越ししていて、日本人学校で数年間過ごすことになったんだ。
もともと親も数年後日本に戻ることになっていたから、中学受験をして日本の生活がまた始まったんだけど、そのときは帰ってくることができて心底ほっとしたね。
だってその国では僕らが日本人だって嫌というほど思い知らされるわけだ。すぐに慣れたけどね。
慣れて気にならなくなっていたけど、日本に戻ってきたときに思い出したんだよ。
どの店にも普通に入っていいし、どの席にも躊躇なく座っていいんだし、周りがなんだか日本人一色だってね。
君はフォレストガンプって映画の中のガンプ少年のスクールバスでのシーンを思い出せるかい?
足の悪い彼が席に座ろうとするたびに、すでに座っている子どもが開いている自分の隣をふさぐんだ、ババッて感じですばやくね。
そんでしょうがないから足を引きずりながら反対側に行ってみるとそこでもババッて感じで塞がれるんだ、あからさまにね。
非常にわかりやすくはっきりとあからさまなんだ。
まあ、そんなことが僕に対しても起こったわけだ。はっきりとわかりやすく。
僕はいっそのこと足にギブスをつけた方がいいんじゃないかって思ったけれどそれはナンセンスだよね。
だってギブスなんかつけなくても顔に日本人って書いてあるんだ、とってもはっきりとね。
たとえば、そんなことを真剣に話しても笑わないで聞いてくれるのはそのとき太田さんだけだったんだ。
君には太田さんの話をしなかったけど、太田さんは僕の人生の中でもっとも重要な役割を果たしたひとりなんだ、まちがいなく。
向こうはそんなことは全く思ってないだろうけどね。
彼女はいい加減に聞き流していただけなのかもしれないけど、とにかく中学時代に感じたこと思ったことを正直に話したのは太田さんだけだった。
犬の話を除いてね。
4.太田さんの話
太田さんに犬の話をしなかったのは、彼女がその夏転校していったからなんだ。
それでそれまでのように何でも話したり喧嘩したりできなくなってしまった。
そうなってから始めて気づくんだよね、今まで何が重要だったのか。
僕がこういう風に居られるのは、どこに僕だけのリードがあるのかちゃんと気づいてないとだめなんだ、ほんとは。
それで必要なときにぎゅっとそのリードを握って離さないんだ。
君にもそういうことってあるかい?後になって気づくことがさ。
特にとっても重要なことを。
僕は今まではっきりいってそれの繰り返しなんだ。
まったく、自分で自分が嫌になるくらいにね。
太田さんがずっとあとの高校卒業近い年に気まぐれで年賀状くれたときに、そこにはっきり気づいたんだ。
僕の気まぐれも相当なものなんだけど、太田さんの主要な成分も気まぐれでできているんだ、きっとね。
で、その年賀状を見て中学のときにした喧嘩みたいなことや暇つぶしなんかを思い出したわけだ。
喧嘩といっても、彼女が自分の荷物を気にせずどかどかと僕の机の上に置くから僕が文句を言ったりとその程度だけど。
あとクラスの特定の女の子をみんながからかってることがあって、それに僕も便乗したから太田さんが怒ったりしたことをね。
でもあとあと考えてみると、ここまでいろいろ言いあえたり真剣な話ができたのは太田さんくらいしか居ないわけなんだよ。
男同士だと会話の9割が下ネタだったからね。
で、夕方のホームルームなんかで何かの委員を決めるとするじゃない。
立候補者が居ないとえんえんと話し合いが続いたりするんだ。
延々とみなの根競べなわけで、30分・・・1時間と貴重な時間が流れていくわけなんだ。そのあいだ何もすることないんだ。何も。ただだまっているしかないのさ。
誰かが根負けして(あるいは大事な用事のために)自らを犠牲にするまでずっと静かな戦いがあるわけだ。
そんなとき、教室の一番後ろの席で机の上に置いたカバンやコートの間に突っ伏したり隠れながら、僕と太田さんはさまざまな話をした。
彼女は小さくてガリガリだからきっと隠れるのは得意なんだ。
先生なんかに注意を受けたことなんて一度だって見たことがない。
けれど態度はでかかったと思うな。
何かと指をさされてズバズバ言われるのであとあと思い出しては腹がたってきたことがあったんだ。
そもそも初めて会ったときにもこっちを指して友達と冗談言って笑ってたんだから印象最悪なんだ。
僕がそんなに笑われるほど変だったかって?
もちろんそれは否定できないし君も分かってるだろう、だいたい。
ただし、こういう暇つぶししなければならない状況では最高の友達になれてたはずなんだ。
たいていは下らない話だったし、メモとペンを使って簡単なゲームしたり彼女がハイテンションで歌を歌ったりしていたこともあるんだけど、よく考えてみると太田さんがそのとき夢中になっていたダンスとか全く興味なかったし、歌ってる歌もまったくもってわからなかったんだ。
けれどお互い話がほとんど一方通行でも気兼ねしないで居られるって、ときには最高だよね?
生返事しか来ないの最初からわかってて話すのは楽だし、面倒になったら途中で話すのやめちゃってもいいんだ。
こういう相手って結構居るんじゃないかって思っていたけど、僕にとっては後にも先にも彼女だけなんだ。
けれど夏の間に彼女は転校して、彼女の席もなくなってしまった。
でもね、それはそれで良かったし、結構のびのびできた。
僕の机は占領されることもなくなったし、喧嘩して気を揉むこともなくなったし、とにかくすごく広々したんだ。
ただ、ある秋の日の午後に、窓からだいぶ柔らかくなってきた日差しが入ってきて、その日差しの角度と反射の所為でちょっとの間黒板が見えにくくなっていて、授業は数学か何かで、ミッチーか敏郎か誰かと先生でたぶん図形の公式で議論してて、そんなときに太田さんに話したいことを思い出したんだ。今この話を太田さんにならできると思った。
僕が飼っていた犬の話をね。
ここに今、太田さんが居てくれたら、隣に居てくれたら僕は本当の犬の話ができたのに、って思ったんだ。
その話はもちろんハービーの話だったし、それから従兄弟の話でもあるんだ。
夏休み直前に従兄弟が僕を訪ねてきたからね。
5.従兄弟の話
そういえば君には姉妹が居ることは知っていたけど、従兄弟は居るのかい?
なんだかちょっと聞いたことあるような気がするけどそれが君の従兄弟の話だったかどうか自信がないな。
僕にとっての従兄弟はゆう君1人ではないけれど、同じ歳だし小さい頃から仲の良いのは彼だけなんだ。
他の従兄弟の中には親の葬儀のときに初めてまともに会話した人だっているくらいだ。まあ歳は10歳くらい離れているけどさ。
でも一言話しただけで、ああなんだか昔から知っててもおかしくないような気がすると思って、同じように向こうも思ったんだろうか少しの時間でいろいろくだけて話せるようになったんだよね。
でも、その歳の離れている従兄弟たちとは本当は自分が物心つく前のすごく小さいときに会ったことがあるらしいんだ。僕はよく覚えてないけど。
で、その葬儀のときあれを思い出したんだよね。
ほら源頼朝と義経が再会する話あるじゃない?
確か鎌倉で。
小さい頃一緒に母親と雪道を逃げだした深い絆があるはずの兄弟が、平家を倒すという同じ目的の中、直接会わないながらも戦いを続けてやっと会うんだ。確か鎌倉で。
結局そのあと悲しい話になるけれど、もしこれが従兄弟同士だったら違ってたんじゃないかと思うんだ。
きっと何もかもうまくいっていたはずだとそう思うんだ。
君はどう思う?
君にとっての従兄弟ってどういう存在なのかな。
僕とゆう君は結局何もかもうまくいったんだ。
再会したのは中学2年の夏休み直前だったから、本当に何年も経っていたんだ。
でもこれ一番楽しい時期だよね?中学2年でしかももうすぐ夏休みって日なんだから。
7月中旬で期末テストなんかを適当にこなせばあとは授業がどんどん短くなっていって、一番暑い日差しの中を遊びながら帰ってそのまま夏休みが始まるんだ。
そのときも半日で終わる日の最後の音楽の授業中で、とても怖くて恐れられていた先生が教壇に立っていたはずなんだけど、そんなことはもう全く気にならないくらいに夏休みが楽しみで仕方なかったんだよね。
僕らの音楽室は扇状に席が広がっていて同時に段差も付いていて一番後ろの席がもっとも高い位置にあるんだ。
黒板とかを見下ろすような形になっていて、その一番後ろの窓際の席で窓から入ってくる空気をほぼ一人占めしながらちょっと眠くなってきていたときだった。
窓の下はグラウンドが広がっていてその先には小学校が見えて斜め向いの道路を隔てた先には城跡とお堀が広がっている。
道は遠くからでも目一杯熱くなってるのがわかるんだ。
陽炎が立ち上ってゆらゆら揺れていたからね。
その陽炎越しに城の堀の中を静かにボートがやってきているのを見つけたんだ。
堀の中にその小さな薄い青色のボートが浮かんでいるのを僕はそのとき初めて見たし、ボートなんかじゃなくとも、カモや錦鯉や緑に淀んだ水と水草以外がお堀にあるのは初めて見たんだ。
ボートがエンジンを回転させるのは一瞬。すぐに切って惰性に任せるとただひとり乗っているおじさんは川底を長い棒でつつくように検査をしているようなのだ。
それからちょっとボートを止めるとカモとコイに餌を撒いてる姿が見えた。
あの人がカモに餌をやってたのか!って僕は本当に驚いた。
僕は長い間疑問に思ってたことが目の前で解かれていくことに夢中になっていたんだ。
退屈な授業がなかったら日常で窓の外の風景や空の雲とか見ることなんかまずないんだけど、君はどうだい?
最近君は風景に感動したことあるかな。
こういうカモに餌をやってるとこなんかも人に話してもなんにも面白がられないだろうけど、僕は興奮してそれでも誰かにしゃべりたくて結局太田さんをツツいて「あれ見てみ、餌やってる」って教えたんだ。
太田さんが今までに餌やりを目撃したことがあるかどうかはわからないけど、彼女がしばらく眩しそうに外を見てるうちに授業は終わっていた。
僕は窓から半分身を乗り出してボートの方をじっと見たんだ。
陽炎でゆらゆら揺れているし、堀の水が太陽を反射して眩しい。よおく見ておこうと思ってね。風はそんなに無くて窓の外の空気はとっても暑かった。
「夏休み中に転校するからあたし2学期はもう居ないよ」
と太田さんが言った。正確にはなんて言ったか覚えてないんだけど、なんかそんな脈絡のない会話だったんだ。
音楽室に残っているのはうちらのほかは若ちゃんと先生が何か話しているくらいだった。
「先生ー、カモに餌やってるの見えるよ」
僕は前の方に居る先生と若ちゃんにも怒鳴って教えてみた。
彼らは外の様子を見て少し何か言ったあと、また元の会話に戻ったようだ。たぶん期末テストの話かな。
「夏休み中?1学期終わりじゃなくて?」と僕は太田さんに聞いた。
「夏休みの部活に少し来て、8月途中で引っ越しする予定、たぶんね」
ああなるほどね、でも中途半端だね。
太田さんも離れたところで窓を全開にして、でも風が来ないので教科書かノートでパタパタあおっていたんだけど、
「あれ、誰か来る」とグラウンドを指差した。
それが従兄弟のゆう君だったんだ。
自分の目を疑うってきっとこういうことだよね。
彼は僕が初めて目にする私立の学校の制服を着て、あろうことかグラウンドを斜めに横切って歩いてきた。
けれどもそれは確かにゆう君だったんだ。
バスケ部って聞いてたけど確かに覚えている小学生のときからは背は格段に伸びていた。
誰かに見つかったら咎められるか絡まれるかするんじゃないかってくらいに場違いなんだけど、ここからでもゆう君が暑そうで一刻も早く日陰に入りたい、だからまっすぐ玄関に行きたいから他人の庭を横切ってきたっていうのがありあり分かるんだ。
僕はゆうううううううと大きい声で叫んで
彼がこっちを向くか向かないかのときには教室を飛び出すと、廊下を走り、一年にぶつかりそうになりながら階段を2段ぬかしで駆け下りて上履きのまま入口に降りた。
僕が息を整えている間、彼は暑いなーと言いながら笑っていた。
なんで?なにしに来たん?
「お前ら、まだ学校あるの?」
そっちは無いの?
「終業式が終わったから来てみた」とゆう君は言った。
彼は手ぶらでYシャツの裾をバサバサとさせて空気を入れると珍しそうに周りを見渡していた。
てかあれ、荷物は?1回家帰ったのか?
「ああー後で部活があるんだよね、まだ学校」
ふーん、とりあえずまだホームルームあるからさ、ちょっと待っててよ
ってどこかで待ってもらおうと思ったけど、結局うちのクラスの廊下まで来てもらった。
3年なんかにつかまるとまずいからね。
これが従兄弟と久しぶりに会った話。
彼はこのとき
「夏休みなんだけどちょっと自由にさ、遊びに行かない?」って僕を誘ったんだ。
君は中学生の夏休みは何してたかな?
友達同士でどっか行ったりしたかい?
ゆう君と僕はね、大府というところのおばあちゃんの家に泊まりに行くことにした。それから2人で名古屋に遊びに行くことにしたんだ。
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