で、そのときおかしなことが起こった。僕とハービーがイモを食ってるときにさ。
雨が降ってきたんだ。
最初は晴れてたんだと思うんだ、家出るときはね。だってすごうく寒かったし。

あのね、冬はね、晴れてる日の朝のほうが冷え込むんだ。曇ったり雨降ったりしたときよりも。そうじゃないかい?
でもとにかく二人と一匹でホカホカのイモ食ってる間に雨が凄い勢いで落ちてきたんだから、それは確かに覚えているんだから、それだけは確かなんだ。実際に濡れたしね。

急いでニレの木の下に避難した。
僕は持てるだけイモを持っていったな。
ハービーは雨なんかお構いなしって顔してたけど、リードを引っ張ればちゃんとついてくるんだ。
頭いいよな、ほんと。

爺さんと僕とハービーはだんだん濡れて黒くなっていく公園の地面をしばらく眺めていた。
その光景は今でもはっきり覚えているよ。土の上に雨の落ちた点がどんどん多くなっていくのを見てるのって結構好きなんだ。全然退屈しないのさ。
それに、雨はすぐやむと思ったんだ。特に理由はないけど。

けれども雨は止まないし、だんだんニレの木の下も怪しくなってきた。
葉っぱからポタポタと垂れてきたんだ、雨の溜まったのが。

冬の雨って冷たいよね。冷たいで済めばいいんだろうけど、恐ろしいよ。生死に関わる冷たさなんだ。
心底不安になるんだよね。もしひとりぼっちだったらたぶん叫びだしてただろうな。

そのとき、ハーベストは傍らに居たんだけど、気がつくとあのお爺さんがどっかに行っちゃってた。
こういうのって本当に心臓に悪いんだ。雨が冷たすぎるときに、誰かに置いてかれるのってね。
ハービーが居なかったら確実に叫びだしてたさ。
実際はハービーが隣に居ても泣きそうだったんだけどね。

実はね、僕は爺さんとしゃべったりしたことなかったんだ、今まで。
というよりちょっと怖かったんだ。僕もちっちゃかったからね。
それより何より、従兄弟の叔母さんに言われていたしね。しゃべっちゃだめだって。
あの人に近づいてはだめ、って言ったんだ。叔母さんが。
今でもその言葉は覚えてる。

でもさ、冷たい雨の塊が氷の針みたいにそこかしこから攻めてきたら君だってそんなこと忘れちまうはずだよね。特に叔母さんの忠告とかをね。

とにかく、お爺さんが居なくなって僕は不安になってしまった。
僕はだめなんだ、こういうのが。
それでリードをぎゅっと握っているんだ。この世で唯一のリードだからね。僕にとって唯一のリードなんだ。
それから、
ハーベストは頭がいいんだ。
って思った。
ハーベストは頭がいい。
それだけ心の中で繰り返していた。僕はそれこそばかのひとつ覚えみたいに
ハーベストは頭がいい、
って呪文のように繰り返し繰り返し唱えていたんだ。

分かるかい?ハーベストは頭がいいし、誰がなんと言おうと僕と一番仲がいいんだよ。
他のどの家族よりもね。
だから、雨がしばらく止まなくたって大丈夫なんだ。

あのね、お爺さんは消えちゃったわけじゃなかった。
僕は消えちゃったって思ってたんだけどね。なんの疑いもなく。
なんというか、ほら、大人ってときどき消えちゃうじゃない?
大人が消えちゃって周りには子供ばかり居て、それでいつのまにか大人と呼べるものは笛吹き男だけになっちゃうんだよね。

笛吹き男が子どもたちを連れていくので。
それで街に子どもが居なくなって大人たちが慌てる。
慌てて子どもたちを捜す。
子どもたちはどこにも居ない。
だからね、知らない人としゃべっちゃだめなんだよ。
公園のお爺さんにも近づいちゃだめなんだよ。
と、従兄弟の叔母さんが僕に言ったんだ。

ところで、お爺さんはちゃんと公園に居て、テントの中から僕とハービーを手招きで呼んでいた。
それがテントだってすぐには分からなかったんだけどね。そこに行ってみるまで。

うまく葉っぱや枝で隠されていたからね。
公園にはニレの木の他にもいろいろあるんだ。砂場だとかアスレチックジムだとか池だとか植え込みだとかね。

それで植え込みの中にお爺さんのテントがあったんだ。
お爺さんはそりゃなんだって作っちゃうんだ。自分ひとりでさ。

それに僕ときたら、そのとき秘密基地がほしくてたまらなかったんだよね。
自分だけの秘密基地を河原で作ろうとして失敗してたんだ。夏に。
だってさ、川って雨が続くと増水するんだ。
それで何もかも流されちゃったけどね。
悔しいというより、恐ろしかったな。やっぱり。
ほら君も川が怖いっていってたよね。

まあそんなんだったから、そのテントを見てすぐにお爺さんに感銘を受けたってことだ。
しかもテントには何でもあったんだ。何でもさ!

誓ってもいいけど僕はお爺さんから何か拝借したりはしてないよ?
でも、あるいはそんな気を起こさせるくらいのものは充分に揃っていたんだ。
たとえばナイフとかね。

ハービーはテントの入り口まで来てぶるぶるっっと体を震わせていたから、水滴がどうしようもなくその辺に散らばっちゃったんだけど、爺さんは何も言わなかった。僕の意識はナイフに釘付けだったし、シートの上が水浸しになったのがハービーの仕業だってことはもっと後で気づいたんだ。

ハービーにシャワーを浴びせる役目はいつも従兄弟だったんだ。従兄弟がハービーにシャンプーもするしブラッシングもするんだ。
でも風呂場から上がったあと、従兄弟はそのまま野放しにするからハービーはあちこち水浸しにしちゃうんだよ。ソファーとかね。
で、叔母さんがカンカンに怒るわけだ。まあ怒っても従兄弟は気にしないんだけどさ。
だからいつのまにかハービーをシャワーに入れる役目は僕になったし、ちゃんとドライヤーまでかけてやるんだ。

テントの中には何でもあるんだって言ったけど、ドライヤーはないんだ。だからハービーの毛を乾かすことはできなかったんだよ。
もともと乾かす必要はなかったんだけどね。
なぜならここにはカンカンに怒る叔母さんは居ないし、ソファーも無いからさ。
ドライヤーはきっと必要ないんだ。
でもナイフはとっても必要なんだよね。
ナイフさえあれば、僕はお爺さんほどまでとはいかないかもしれないけど、もっとちゃんとした秘密基地を作ることができたんだと思う。
ナイフさえ手に入ればね。

でもナイフってのは子どもにとってなかなか手に入るものじゃないんだ。
スタンドバイミーだと、ピストルまで簡単に手にはいるのにさ。ちょっとずるいだろ?
スティーブンキングにかかれば何だって手に入るんだ。必要なときに必要なものがね。
僕がスタンドバイミーの中で実際に真似できたのは線路の上を歩くことくらいさ。

OK、つまりハービーは体の水滴をまき散らすのに夢中だったし、僕はナイフに見とれていたさ。
そんとき爺さんは僕に名前を聞いたんだ。ハービーのね。
つまりね、「その犬はなんていう名前なんだ?」って聞いたわけだ。
それでさ、その後どうなったかは君にも想像できるだろうよ。
僕が「ハーベスト(っていう名前なんだ)」って答えて、爺さんが「ハーベスト(!)」ってハーベストを呼んで、だけどハーベストは振り向きもしないわけさ。家族の誰もハーベストなんて呼び方してないからね。

だから僕はこれこれこういう会話を交わしたなんていうことを事細かに書くなんて嫌なんだ。
爺さんに、犬の名前なんて聞かないでくれ、なんて言うのもナンセンスだし、とにかく、僕が犬の名前を聞かれて幻滅したのはそういうわけなんだよ。会話なんてのはトルストイにでも任せとけばいいのさ。

あるい…

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