つまりね、「自分とは何か」ってテーマでいきなり禅のよーな話をし始めたら、ボス猿のカツラ剥きになるよな、って思ったんだ。仙道抜きのね。

でもさ、もし今ここに教授が居て、爺さんのテントでナイフを好きなだけ触らせてもらった僕とハーベストの「話の続き」を読んだら、きっと「要らない」って言うと思うんだ。

要らないって言ったわけじゃないよ?実際は。
さっき「教授が要らないって言った」って書いちゃったけどね。
実際に僕に向かってどうこう言ったわけじゃないんだ。
ただね、僕が思うに、たぶん続きは要らないって言うと思うんだよね。教授は。

だけど残念ながら僕とハーベストの話には続きがあるんだ。

たとえばね、ジョンアービングが『熊を放つ』って本書いてるんだけど、あれ最後の部分はきっと要らないんだ。ノートの内容の部分ね、うまく文章に入りきらなかったんだよきっと。
でもね、それでも書いてるんだ、彼は。

誰か有名な人が「ハックルベリーフィンの冒険は後半部分いらない」って言ったって聞いたけど、
あれは正確には、「どこそこより後は読むべきじゃない」って言ったんだよね。たしか。

つまりね、熊を放つにしろハックルベリーフィンの冒険にしろ書いちゃったものは書いちゃったんだよ。
それで書いちゃったものってのは、もともと初めから書くべきものだったんだよね、きっと。
それでそれを読んだ人から「後半はいらない」って言われるべきものなんだよきっと。

ここから後は読むなとかいらないとかなんとかかんとかそういうことを言われるべきものなんだと思うんだ。
いらないっていうことはさ、イコール書くべきじゃなかったってことにはならないと思うんだよね、きっと。

ところでポールセローの短編って、要らない部分は初めから書いてないんだよね。

3.話の続き

結局いつまでたっても雨はやまないんだ。
仕方ないから僕とハービーは公園から家まで走って帰ることにした。

コートを着てこなかったことを後悔すべきかどうかは微妙は問題なんだ。
コートが無い所為であまりにも寒いし冷たいし辛いし凍えそうなんだけど、でももしコートを着てたら雨でどんどん重くなって走りにくいんだ。たぶん。
僕の持ってるコートってもともと結構重いんだよね。
それなりに気に入ってるんだけどね。

とにかくお爺さんにはさようならって言ってテントを出た。

お爺さんは僕にサツマイモを持たせようとしたけど、それは断ったんだ。
もって帰るわけにもいかないしさ。見つかったら怒られるだろうし。
たいてい小さい頃の価値基準って怒られるか怒られないかってところなんじゃないかな。
誰だって怒られないほうがいいからね。怒られるよりはさ。

でも従兄弟は違うんだ。怒られようがそうじゃなかろうが知ったこっちゃ無いって風なんだよね。
そういうところで僕と従兄弟は違うんだよ。根本的に。

さらに従兄弟はフランス語で会話ができるんだ。
僕はいまだに犬としか会話できない。まともにはね。

ところで、公園から家まで実に7回も角を曲がらなくちゃならないんだ。
5回目の角を曲がったときには靴の中までびしゃびしゃに濡れてしまった。
ハービーは別に平気だったと思うんだが。

実はね、このあたりからあとはよく覚えてないんだ。
5回目の角をまがったあたりからね。

その角をまっすぐ行くと神社があって神社の階段があって坂があって右手に駄菓子屋があるんだけど、その駄菓子屋さんの軒先で雨宿りしている間に僕は倒れたらしいんだ。
あまりの寒さにうずくまって、ハーベストを両手で抱えるように寄りかかったまま意識を失ってたのを駄菓子屋のおばちゃんが発見してくれた。
もちろん僕はそのことを覚えていたわけじゃなく、ずっと後でおばちゃん本人から聞いたんだ。
おばちゃんは楽しそうに「フランダースの犬」になぞらえて僕に話してくれた。
僕はもちろん楽しくなかったけどね。

倒れたその後の数日間は思い出したくないな、あまり。
熱が出て寝込んでどうしろうもなく苦しんだんだ。

意識があるときは始終咳が止まらなかった。

僕がこのことを書きたくない一番でっかい理由はあまりにも惨めだからだ。そのときの自分がね。
実際目が覚めるたびに惨めな気分になっていた。

傍目から見ても凄いうなされ方をしてたらしいんだけど、このあたりの記憶は自分では曖昧なんだよね。
昼なのか夜なのか何時間たったのかそれとも何日もたってしまったのかさっぱり分からないし、そんなことどうでもいいくらい咳が出たんだ。

それでも比較的症状が穏やかになってくると、僕は天井の木目を眺めながらいろんなあらゆることを考えた。
実にあらゆることなんだ。病人は暇だからね。
特に僕は病人としては優等生に値するくらい真面目におとなしくしてたから恐ろしく暇なんだよね。
でも暇なのが嫌なんじゃないよ。
僕はその気になればなんだっておもしろいことを編み出すことが可能なんだ。
寝ながら、しかも天井を眺めながらね。

しかし、覚醒しながら布団の中に居るのは、まるで木の枝にずっと坐っているようなものだよね。
あるいはいつ来るか分からない誰かをずっと待っているようなものだ。

僕は待っている間に、その誰かがいつか必ず来るものと信じていなければならない。ずっとね。

僕にとって信じることは実は簡単なことだったんだ。
ただ信じ続けることってのはとてつもなく難しい。

両者の違いをはっきり感じたのはもっともっと大きくなってからのことだ。

とにかく僕は布団の中で、ハービーが僕のことを心配していないことを祈った。
同時にハービーが数日間会わない間に僕のことをすっかり忘れてしまわないと信じ続けた。

あとはとにかく毎回食事に出てくるおかゆから逃れたい一心だったんだ。
僕はおかゆが苦手だったからね。その頃。

おかゆ以外にも雑炊とか炊き込みご飯とかも苦手だったんだけど、別に食べられないわけじゃないんだ。どれもね。
ただ毎日おかゆってのはうんざりだったんだよね。
君も毎日苦手なものが出てきたら逃げ出したくなるだろう?
でも子どもは逃げられないんだ。

逃げられないからわがまま言うしかないのさ。

ねえ、悪いんだけど、って僕は言った。

「おばさん、悪いんだけどね、おかゆって飽きちゃったんだ。だから普通のご飯じゃあ駄目かなあ。ほんとはね、普通のご飯も硬めに炊いたほうが好きなんだよね。今まで言わなかったけど。」

でね、硬めに炊いたほうのご飯ってのも普通のご飯ってのもだめだったけど(消化に悪いからね)、でも次の食事のとき叔母さんはうどんを茹でてくれた。
ずっとおかゆだったからとてつもなくおいしかったんだ。

僕はね、うどんは好きでも嫌いでもなかったんだ。あまりおいしいうどんを食べたことがなかったのかもしれない。それともうどんのおいしさを今まで僕は充分に理解しきれてなかったのかもしれない。

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